そろばんおじさんの毎日パチパチ

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東北地方で細々と珠算教室を営むおじさんの綴るあれこれブログです。

できない?やらない?意外と難しい境界線!!

年度が改まり、学生の皆さんは学年が進んだり、進学したりと、新しい環境への期待や不安が高まっている時期ですね。でもそれ、実は先生も一緒なんです!

 

「新しく受け持つクラスでは生徒の皆さんになじんでもらえるだろうか?」

「イジメが起こったり、非行に走る生徒がいないだろうか?」

もし新卒の先生なら、

「生徒にナメられたりしないだろうか?」

なんて不安で、ナーバスになっているかもしれません。

全員がそうではないですが、この時期に不安はつきものだと思っています。

私も、今年入塾生が少なかったらどうしよう・・・なんて、毎年頭が痛い時期ですしね・・・。

 

さて、そんな時期で、今回はタイトルの通り、できないとやらないの境界線について、私の感じていることをざっくばらんに書いていこうかと思います。

※あくまでも一珠算講師の雑感であり、専門的知識に基づいた記事ではないことをご了承の上お読みください。

 

その違い、なにが問題?

できないこととやらないこと、この二つの違いは、なんとなく理解できると思います。できないものはできない。やらないものはやらない。その通りです。

では、なぜこのテーマで記事を書いているかといいますと、私はこの違いを見定めなければ、それぞれの問題への的確な解決法を見出すことはできないと考えているからです。

先生という立場で私の対処法を述べさせていただくと、 

 

・できない(わからない)場合

1  具体的に何ができない(わからない)のかを特定、確認する。

2  理解が追いついていない原因を考え、より簡潔な解説で指導する。

3  ある程度の指導ののち、その理解度を確認する。

4  一定水準の理解が得られるまで、2と3を反復する。

 

・やらない(やりたくない)場合

1  なぜやらない(やりたくない)のかを本人に確認する。

2a 原因が判明した段階で、それが解決可能か否かを判断する。

2b 原因がわからない場合は、苛立たず生徒の経過を観察する。

3a 解決可能な場合は、速やかに問題解決に努める。

3b その場での解決が不可能な場合は、無理に学習を続けさせるのは、生徒の精神的負担になる可能性が高いため、無理強いを避ける。

 

少々堅苦しい書き方ではありますが、このような形で対応を判断しています。

このとき、頭ごなしに学習を強要してしまってはのちのち様々な問題が生まれる火種になってしまうのではないでしょうか。

 

対応を誤り、起こる問題とは?

前項では、それぞれの場合における私の自己流対処法をご紹介いたしました。

では、実際にその対処を誤ってしまった場合に起こるであろう問題について述べていこうと思います。

・先生は話を聞いてくれない!!

 私の教室では主に小学生、それも低学年の生徒が多く在籍しております。そういった年齢の生徒さんは、高学年の生徒さんと比較すると精神的に不安定な場合が多く、日によって心のコンディションが大きく異なります。

「友達と喧嘩した」

「お気に入りの鉛筆が折れた」

なかには、

「自分のスプーンを弟(妹)に使われて怒ったらお母さんに怒られた」

なんて理由で気分が落ち込んで、その日は憂鬱な気分になってしまう生徒さんが、結構います。最後の例は私の少年時代の実話です。あの時は悲しかった。

 我々大人の尺度で考えれば「そのくらい」で済んでしまう事でも、多感な少年期ではそれが深刻な問題になりえるという事を忘れてはいけません。こどもたちの立場で話を聞く。くだらないと感じても、それを切り捨ててとりあえず学習行動に移らせる。それでは、生徒さんは信頼してくれるはずがありません。

 塾・教室という限られた時間の中で、少しでも指導を進めたいというのは当然の感覚です。しかし、生徒の心の在り方を無視しての無理やりな指導は、何よりも大切な生徒さんとの信頼関係を壊してしまうことにつながるのです。

・最近全然わからなくってつまらない。

 こちらでは、できない(わからない)の場合に対応を誤ってしまった時に起こりうる問題点を考えます。私は前述の通り、珠算教室で講師を務めさせていただいておりますので、そこに則って述べさせていただこうと思います。

 まず、珠算学習は完全な段階指導と考えています。

  ・1の足し算引き算。

  ・5の足し算引き算。

  ・10の構成分解。

  ・5の構成分解。

   ※下二つは前後する場合が多いですが。 

 初歩指導をこのように進め、とりあえず終了したとしましょう。

 その後、次の段階で理解ができていない場合、それは初歩の時点で理解が曖昧であった可能性が強いです。しかし、時間に追われ、他の生徒の指導もしなければならないからと、その生徒さんが躓いた問題だけを一緒に解いて、根本的な原因を放置、なんてことをすれば、その原因はどんどん取り返しがつかなくなり、いずれは、

「一体何がわからないのか、それすらもわからない」

なんてことになりかねません。

 そして、その生徒さんはこう感じるでしょう。

「なにやってるかわかんないし、そろばんつまんないな」

はい。これが理解できていなかった私は、過去に数名の生徒を失いました。

 

結論「認識・対応の甘さを甘く見てはいけない」

 今回長々と書いてきましたが、これはきっと指導者として当たり前のことで、改めて文章にする必要もないくらいの話だと思います。

 ですが、その当たり前を常に実践することは難しく、日常の授業において時間の無さや作業の多さを言い訳にして、なあなあな対応をしてしまっている瞬間があることも否定できません。

 理想論と言ってしまえばそれでおしまいですが、理想なくして向上もないと思い、あえてこのテーマで書かせていただきました。

 生徒の為にも自分の為にも、改めて気を引き締めて授業に臨む所存です。

 

最後に。

 非常に読みにくく、論点もブレにブレた文となってしまいましたが、もし最後まで読んでいただけた方がいらっしゃいましたら幸いです。

 実質一発目の記事として、少々気合いを入れすぎた結果空回りしてしまいましたが、今後成長していければと考えておりますので、よろしければまたお付き合いいただければと思います。