あなたの不満や憤り、実はビジネスチャンスかも!?
次の元号が「令和」になるとの発表から一夜明け、今日は様々な関連話題がニュースやSNSを賑わわせていましたね。
そんな中で、私が興味を惹かれたのは、メイプル超合金のカズレーザーさんの本名が和令(かずのり)さんだったという話題。比較的好きな芸人さんだったので、これをネタにまたメディア露出が増えそうでうれしいです。所謂「持ってる」というのはこういうことなんだろうなあと感じました。
とはいえ今回その話題について触れても、もっと有名な方がたくさん記事を書いていそうな気がしますし、なんなら万葉集に関する知識もほぼ皆無ですので、あえて避けようかと思います。
theme.不満はそのままじゃもったいない?
さて唐突ですが本題。
皆さんは、日常に不満や憤りを感じたことはないでしょうか?私は多々あります。大きなところでは政治経済、小さいところでは横断歩道を歩きスマホで渡る若者なんかですね。
でもそういった不満や憤りは、自身でどうこうできるものではないことが多く、結局は抱えたまま生きていく事しかできないのが現状です。
しかし、そんな中でも「もしかしたらこれはビジネスチャンスでは?」という発想の種が生まれることがあるんです。今回は私が感じた例を紹介していこうと思います。
「これは○○しろよ!!」
前述したような不満や憤り、どうしたって解決できないものは多々あります。ですが、発想と行動次第でもしかしたら解決できるかもしれない、そんなケースは意外と多いんじゃないかな?という考えが、この記事の根幹です。
最近私が感じる不満や憤りを、いくつか紹介すると、
・スマホのバッテリーの減りが速い!!
・体重が減らない!!
・コンビニのウォシュレットが時々強すぎる!!
・楽天生命パーク完全キャッシュレス化マジかよ・・・
他にも挙げればキリがないですが、この中で3つ目、ウォシュレットの水勢問題についてが今回の具体的な内容です。
不満を種に、解決策を考えよう
以前、授業に向かう前に缶コーヒーを飲もうとコンビニに入った時の事です。急な便意の為、そのコンビニのトイレを利用したんです。無事に用を足し、さてウォシュレットのスイッチをオン。モーター音が響き数秒後、強烈な水圧が私の肛門を襲撃しました。しかも冷水です。
横を見れば、水勢はMAX、温度は最低の設定になっていました。
さらに不幸にも、私はその前日某激辛ラーメンを食べており、肛門は非常にデリケートな状態です。そのとき私は、前日の自分と、私の前にそのトイレを使用した見知らぬ誰かを恨むしかありませんでした。確かに、使用前に設定を確認すればいいという思いもありますが、なにぶん急な便意です。解放された安心感のさなか、ウォシュレットの設定を確認する人はどれだけいるというのでしょうか?
家庭のトイレであれば、家族間で設定について申し合わせをしておけば済むものです。「お父さん!トイレ使ったら設定は戻してって言ったでしょ!」なんて会話が成立する、暖かい家庭を築けばそれで済みます。ですがコンビニやスーパーは違います。水勢最強おじさんを特定して直接注意をするわけにもいきませんし、結局は利用者が相互に思いやりをもって使用しなければいけません。運が悪ければ、肛門を裂かれることを覚悟するしかないのです。
ですが、その後もう一つの思いが私の頭によぎりました。
「まてよ?なんでこんな問題が起こるんだ?」
そう、これこそが気付きです。
「この問題は、前の利用者の設定を引き継いでしまうのが問題ではないか?」
「一回の使用ごとに設定を標準に戻す機能を作れば、この問題は解決する!」
このとき、私の不満は一つのアイデアへと姿を変えました。ひとつのビジネスの種を手にした瞬間です。
残念ながら・・・
実際に、そのアイデアでビジネスはできたのかというと、答えはノーでした。なぜなら、私が知らないだけで既に「使用ごとに水勢・水温を設定して使用できる」ウォシュレットが存在していたのです。そう、私が使用したものは少々古いタイプで、私が思ったよりも世の中は便利だったのです。
結論
ではなぜこのような記事を書いているかというと、この例は残念ながらビジネスとして花を咲かせることはできませんでしたが、日常の中にはたくさんのアイデアの種が埋もれている、という事をお伝えしたかったからです。
不満とは改善できる点があるという証拠ですし、自身が感じた不満は、他の誰かも感じている可能性が高いのではないかと思います。ならば、その不満を解消するアイデアがあるならば、それはきっと他の誰かも求めているもの。そしてその求めとは、言い換えれば需要であり、需要に対して的確な供給ができれば、それこそがビジネスではないでしょうか?
皆さんも、もし日々の暮らしの中で不満を感じることがあれば、それは密かなビジネスの種なのかもしれません。そこから生まれるアイデアを欲している人が、どこかにいるのではないでしょうか。