そろばん革命軍の飲み会に参加した話と、子育てにおけるNGワードについて。
去る5月12日、仙台にて行われたみちのく珠算部及びそろばん革命軍の飲み会に参加させていただきました!!
当初詳しいことを聞いていなかったのですが、実際に時間になってみると20名を超える人数で、さらにその中には全国的にも有名な先生方がずらりと並ぶ光景にかなりびびってしまいましたが、いざ飲み会が始まると皆さん非常にフランクに様々な話を聞かせて頂け、大変楽しくかつ、為になる時間を過ごすことができました。
その中で一つ気が付いたことがあるのですが、やはり仕事柄なのか、皆さんとお話するときに非常に目が合うんですよね。
日常的に多くの生徒に目を光らせているからなのか、その場で会話に参加している全員に対して均等に視線を向け、なおかつ他の場所での会話や様子に気を配るような話し方をする方が多かったように思います。
こういった視野の広さと柔軟さは是非習得したいものですね。
何はともあれですが、こういった連盟などの枠に囚われずに情報交換や交流を図る機会は貴重ですし、今回参加できたことを本当にありがたく思います。
これからもこういった機会があれば、積極的に参加していきたいと思います!
飲み会の感想もほどほどに、今回のテーマです。
以前お昼の情報番組で目にしたのですが、子育てにおいて発してはいけない言葉、というものが紹介されており、いろいろと考えさせられる内容が多かったので、それらについて少々考えてみたいと思います。
そもそもNGワードとは?
あくまでも、番組を見たことが前提になりますので、今回はその番組における解釈で進めていこうかと思います。
その番組内で取り上げられていた内容として、NGワードとは
「わが子や、育てている対象を、親である自分の都合の良い状況の中に閉じ込めてしまう言葉」
というものでした。
私はまずここに共感しました。
私も、自分の都合や理想にそぐわない行動や言動をとった子供に対して、自分が理解や共感をすることができる範囲内で解決を図ろうとするのは乱暴であると考えています。
具体的なNGワードとは?
さて、この項目では実際にどういった言葉がNGワードなのかという事を紹介とともに、私なりに解説していこうと思います。
※この記事では、NGワードという言葉を必ずしも駄目だという事ではなく、不用意に使うことで子供との関係を悪化させてしまう可能性がある、という意味で書きます。
【○○なんだから】
お兄ちゃんなんだから、お姉ちゃんなんだから、男の子なんだから、女の子なんだから、さまざまなシチュエーションでそういった言葉を使ってしまう事はありませんか?
個人的な話にはなりますが、私は昔からこの言葉が大っ嫌いです。
・弟との喧嘩や、近所の年下の子との付き合い方。
・趣味への介入。
・トラブルがあった時の悩み方。
こういったことを親や教師、近しい大人から触れられる度にこの言葉を使われ、こちらの本意や希望を無視された経験を強く覚えているからだと思います。
この言葉のなにが問題なのかと考えてみましょう。
ここにおける問題点は、言われた側の立場を限定し、その立場での試行や行動を強制してしまう事にあります。
一度や二度ならまだしも、日常的にそういった言葉を投げかけられてしまえば、そういった振る舞いをせざるを得ない状況に追い込まれていくのではないでしょうか。
多くの場合、一方に我慢させるのではなく、双方にとって最低限納得できる提案をできるのは大人だけです。
短時間に済ませるような対応ではなく、きちんと子供たちの目線に立って一緒に考えてあげるべきなのではないでしょうか。
【いいから○○しなさい!!】
根拠がない要求ほど負担に感じるものはありません。
子供からすれば親の言う事は絶対的な効力を持ちます。
そこに甘えて、この言葉を便利に使い続けてしまう事は大変危険です。
自我が芽生え、意思を持って行動した結果にこういった言葉を投げかけられた子供はどう思うでしょうか?
根拠をもって行動した結果、それを全否定されてしまったように感じてしまいます。
なぜそうすべきなのかといった根拠を提示した上で、言葉と時間をかけて理解して貰う努力をしなければ、どこかで不信感を持たれてしまいます。
もし、「こうしてほしい」という希望を伝える際にこの言葉を使ってしまっていたとしたならば、それを言われた子供は「こうしなければいけない」という強制する言葉としてとらえてしまうかもしれません。
それは、本当にあなたが望んでいることでしょうか。
【いい加減にしなさい】
いい加減って、どんな加減なんでしょうか?
怒っているという意図が含まれているということはわかりますが、この「いい加減に」という言葉の意味を、子供は理解できていないのではないかと思います。
なぜ止めるのか、なぜそれをしてはいけないのか、それをしっかりと理解させずにただその行動を止めるだけでは、同じことを繰り返してしまいます。
「育てる」という立場で考えるのであれば、根拠もなく行動を制限するだけではなく、大人としてしっかりとした倫理観や社会性を育むためにも、きちんとした理論をもって言い聞かせる努力をすることも、親や教育者としての責任なのではないかと感じます。
してはいけないことをしたその瞬間に、「やめてほしい」という親や大人の考えだけで行動を制限することは、教育やしつけと呼べるでしょうか?
素早くその行動を止めることも大事ですが、そのうえで、なぜそれがいけないのかという事を伝えることこそが大切なのではないでしょうか。
【何が言いたいの?】
大人の語彙力を子供に求めることほど無理なことはありません。
「~でね、~でね、~だったんだけど、~でね、~だからね、~で、~なのにね」
このような、いまいち結論が見えない話し方をする子は少なくありません。
そういった際に、結局何が言いたいのかという結論を急いでしまいたくなる気持ちは理解できます。
しかし、その時その子は単純にその話をしたいのでしょうか?
たしかにその意図もあるでしょうが、本質的にその子が求めているのは、その話をすることによるコミュニケーションなのではないかと思います。
であれば、その際に大人がとるべき行動とは何か。
内容を理解するよりも、その子の話を聞いてあげることが大事なのではないかと思います。
大人の感覚では大したことではないかもしれませんが、その子にとっては誰かに話したい、伝えたいことでもあるのです。
そういったお話に耳を傾けずにただ結論だけを急いでしまうのは、積極的にコミュニケーションをとろうという子供の意思を裏切る行為になってしまいます。
時間がないときは仕方ないかもしれませんが、可能な限りそういった子供のアピールには反応を示してあげてはいかがでしょうか。
早く済ませてほしい、何が言いたいかわからなくてイライラするといった思いはあると思います。
ですが、そういった大人側の感情を優先して子供の主張を抑えつけることにどのような意義があるでしょうか?
総じて思う事
印象的なものを四つ紹介しましたが、その他にもそういった「子育てで使うべきではない言葉」というものはあるかと思います。
言及しればキリがないですが、様々な場面で発する言葉を意識してもらいたく思い、この記事を書きました。
また、その場の状況に応じて余裕がないときや対外的に仕方ない場面は多々あると思いますし、場合によっては瞬間的な対応を優先せざるを得ないタイミングがあることも理解しています。
それら様々な要素を総じて、私がこの記事を通じて考えてほしいことは
【子供は大人の意思で操っていい存在ではない】
【未熟であれど、一人の人間である】
という事です。
人間として間違っていると感じたことはしっかりと正さなければいけませんが、そうでないのであれば、ある程度子供の自主性や人格を尊重することも大事なのではないでしょうか。
この記事を通じて、なにか一つでも感じることがあれば幸いです。