そろばんおじさんの毎日パチパチ

そろばんおじさんの毎日パチパチ

東北地方で細々と珠算教室を営むおじさんの綴るあれこれブログです。

【勉強嫌い】は勉強が嫌いなわけじゃない、という可能性のお話。

今回の記事は、私の過去の甘えや弱さによる経験です。読んでいてイライラする内容かもしれません。

もし同じように悩んでいたり、そういったお子さんを持つ方に少しでも参考になればと思い、恥を晒す内容を書くことを決意しました。

 

はじめに

正直なところ、昔の私は本当に「勉強」というものが嫌いでした。

テストは一夜漬けだし、努力もせずなんとなく気が向いた時だけ参考書に向かう生活。

はっきりと言ってしまえば、学生時代もっと勉強をしていればよかったという典型のような学生時代を送ってきました。

ではなぜそうだったのかと今考えてみると、様々な悪循環がありました。

当時通っていた中学高校の先生を批判するのではありません。おそらくは、ただ単純に私が学校というものを苦手になってしまったんだと思います。

しかし、中三で通った学習塾での勉強はなぜかとても楽しく、夏休みはほぼ毎日のように塾の学習塾に通っていました。

しばらくは「塾の先生はプロだからそうだったんだろう」と考えていました。

ですが、最近になって少し考えてみたのですが、それは私の勘違いだという事に気付いたんです。

 

学校が嫌いになった経緯

はっきり言えば、私が嫌いだったのは勉強ではなく、「学校」という環境でした。

小学生当時、今ほど複数の習い事をしている生徒は多くなく、さらに毎日何かしらの習い事で埋まっているという同級生はほぼいませんでした。

そんな中で私は週七日間すべてが、そろばん・水泳・バスケで埋まっており、確かにその中で同級生もいましたが、放課後に誰かと遊ぶという文化がほぼありませんでした。

特にそろばんの日は、親が先生という事もあり、授業が終わってからも片づけを手伝うように言われていたので、帰ることもできません。おそらくは自宅に一人でいることが不安だったのだろうと思いますが、当時は親に対してかなりの不満を抱えていました。

結果、クラスメイトとは話が合わず、たまにそれらが休みになった日に誰かと遊んでも、普段みんながしている遊びがわからない。

結果、休み時間にも話す相手が徐々にいなくなり、たまに話しかけられてもからかうようなことを言われるだけ。高学年に上がるころには、私は毎日学校に行くことが憂鬱になっていましたし、たまに暇な時間があっても部屋にこもってほとんどの時間をボーっとするようになっていた気がします。

唯一の救いは、毎週水曜日に通っていたスイミングの送迎バスで、隣の小学校の友人と仲良くなることができ、送り迎えの際にその事おしゃべりすることが楽しみだったという事。

バスケを辞めたいという訴えを何度かしたこともありましたが、理由を聞くまでもなく認めてもらう事はできませんでした。

 

そうこうしているうちに中学生になりました。

中学に上がると、同級生も部活が始まります。

ここで私は、やっと習い事から解放される、他の同級生と同じ環境になると思っていたのですが、そんなことはなく、待っていたのは夕食後の父親からのそろばんの練習でした。

そういった毎日を過ごすうち、部活以外のほぼすべての時間を無気力に過ごすようになりました。

さまざまなことへの興味や関心を無くし、学校の授業中に起きていることができなくなりました。

そんな不真面目な態度でしたから、気が付けばなにかトラブルがあった際にも悪いのは私であるという前提で対応をされ、庇ってくれるような友人もいません。

徐々に徐々に、家でも学校でも、人と会話することが怖くなっていき、親や先生に声をかけられると「叱られるんじゃないか」と感じて、何も言葉が出てこないようになっていきました。

今考えると、この当時私は精神的にもおかしくなっていた部分があると思います。

この当時の事は、家族で出かけたり旅行に行ったことは覚えているのですが、叱られたりした記憶はあるのに、あったはずの楽しかったり感動したりといった記憶がほとんど残っていません。そのくらい、陰鬱とした精神状態でした。

当たり前ですが、成績はどんどん下がっていきました。学年124人のうち100位ほどの成績が続き、ほぼ毎日のように勉強の事で叱られていたように覚えています。

生活面でも学習面でもうまくいかず、部活の為に学校に行っていたようなものでした。

 

初めて勉強が苦じゃなくなったきっかけ

そんな状態でしたので、部活を引退した際に私は両親から、学習塾へ通う事を勧められました。

そんな成績を続けていた私を見放さず高い授業料を払って塾へ通わせてくれたことに感謝しています。

通い始めた当初、正直その内容についていく事ができませんでした。当たり前ですね、学校の授業をまともに受けていないのですから、最低限の学力すら身についていないに決まっています。

ですが、できないことは苦痛でしたが、塾の授業はなぜか楽しく感じました。

あまり同じ中学校の生徒が通っていなかったこともあり、周りを余り気にせずに授業を受けることができたことも要因としては大きかったかもしれません。

塾の先生は年齢も近く、質問や相談をしやすかったという事もあり、気が付けば塾へ通う事が楽しみになっていました。それに呼応するように、徐々に成績も上を向くようになり、相変わらず学校は嫌いでしたが、勉強自体は楽しく感じるようになっていたように思います。

冒頭でも言いましたが、中三の夏休みになるとそのほとんどを塾の自習室に行き、解放されている朝から夕方までを勉強に費やしていました。

実際は、初めは家にいることで親と顔を合わせることを避けたかったという不純な理由もありましたが、間もなくただ積極的に自習室を利用するようになっていました。

そのころには、高校受験対策に同じ中学の同級生も徐々にその塾に通うようになったのですが、なぜか塾では普通に会話することができたのが印象的でした。

そういった夏休み明けの実力テスト、そのおかげか成績はかなり上がり、学年で20位ほどになっており、クラスメイトからはカンニング疑惑をかけられましたが、この時私は担任の先生から初めて褒めてもらえたことがうれしかったのを覚えています。

 

そうして少しずつ成績を上げていき、高校受験では当初無理だといわれていた高校に合格することができました。

 

環境を変えるのは時に有効

これはあくまでも私の経験での話ですので、全部が当てはまるわけではありません。

ですが、私自身が珠算講師として子供たちに指導をしていると、勉強嫌いな生徒というのは少なからずおり、その中には勉強とは本来関係ない理由のはずが気が付いたら勉強も避けてしまうようになったというパターンはかなり多く、ほんの少し何かを変えるだけでその姿勢に変化が現れる場合も少なくありません。

私にとっては塾への通学がそのきっかけでしたし、見てきた生徒の中ではクラスの席替えがきっかけで良い方向に向かったというパターンもありました。

 

伝えたい事

悩んでいるあなたへ

「勉強が嫌い」だと感じていると思いますが、それはもしかしたら、結果的に勉強に向き合えていない事情があるのかもしれません。

一度、なぜ自分が勉強を嫌いになったのかを考えてみてください。

もしもそこに他の理由があるのだとしたら、それを解決するために努力する余地があるならば、まずは行動してみてください。

今の世の中は、無理に小中学校へ行かずとも勉強ができます。

どうしても学校の勉強ができないのであれば、自分の興味があることをとことんまで突き詰めてみることで人間として成長できるかもしれません。

ほんの少し何かを変えることで、新しい何かが見えてくることはよくあります!

綺麗事だと思ってくれてもかまいません。ただ、実際にほんの少しのきっかけで前を向くことができた人間がいるという事だけは、知っておいてほしい。

勉強嫌いなお子さんの保護者様へ

お子さんの勉強嫌いを、単なる怠慢だと決めつけていませんか?

もちろん、その可能性はありますが、勉強ができなくなるような理由があるという可能性は大いにあります。

そしてそういった理由は、大人の価値観で見ればただの言い訳にしか聞こえないのかもしれません。

ですが、そうだと決めつけるのはやめてあげてください。親子の信頼関係は生命線です。

そういった状態に陥ったお子さんは、そういった悩みや不安を打ち明けるだけでもかなりの勇気を振り絞っています。

なのにただ否定されるのでは、せっかく振り絞った勇気も無駄になるばかりか、なんの対応もしてもらえなければ一緒に悩んでもくれないという事に絶望してしまいかねません。

「勉強をしてほしい!」という想いがあるのはわかります。

ですが、事情を抱えたお子さんに勉強を強要してもほぼ有効な学習を望むことはできないでしょう。

まずはしっかりと寄り添ってあげてほしいと、切に願います。

 

おわりに

今回の話は、誰にでも当てはあるものではないでしょう。ですが、誰に当てはまってもおかしくない話です。

ただの怠慢で勉強をしないならばお説教でいいのかもしれません。

そうじゃない可能性があるという事を、頭の片隅にでも置いておいて頂ければと思いこの記事を書きました。

もしかすると自分の過去を私が正当化しただけに見えるかもしれませんし、その側面がないとは言い切れません。

しかし、なにか事情を抱えた子供がいて、それに対して理解を示せない保護者がいるのは現実的な問題です。

これを放置せず、しっかりと理解を深めていく事で、そのような問題が少しでも解決してくれることを強く望みます。