【割れ窓理論】に見る、教室の空気を管理する重要性。
皆さんは、「割れ窓理論」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「建物の窓が壊れているのを放置すると、その建物に対して注意を払う者がいないという象徴となり、いずれ割れていない窓も壊されてしまう」という考え方からこの名前が付いた、軽微犯罪も徹底的に取り締まることによって、大きな犯罪や事件を抑止することができるという環境犯罪学における理論だそうです。
今回は、この理論を基に教室での雰囲気作りについて書いてみようかと思います。
ある日の気付き
私は地域の集会所をお借りして授業を行っているのですが、夏場などには脱水症状防止や熱中症予防のために飲み物の持ち込みを認めています。
ですが、中には飲み物を持ってこない生徒もおり、そういった生徒用に水道水を飲むためのコップをいくつか用意しています。
使用後は洗って元の位置に戻すよう指導しており、多くの場合ではきちんとその言いつけを守ってくれています。ですが低学年であったりあまりそういった言いつけを気にしない生徒が使用すると、使ったら使いっぱなしになっていることも無いとは言えません。
基本的にはそういったものはすぐに片付け、該当の生徒に口頭で注意するようにはしています。
ですが数年前のある日のことです、その日はいつもより授業が忙しく、そういった部分に目を向けられずにいた瞬間があり、落ち着いたときに見てみると、使用したコップが四つほど使ったまま放置されていました。
玄関を見ると、その時間に最後に使用したであろう生徒がいたので聞いてみると、
「他のコップがそのままだったから」
という理由で、自分もそのままにしてしまったとの事。
その場では、そういった場合でも普段通り、使ったものは片付けるようにと注意をしました。
その後もそういったことがないようにと、次の授業の際にはいつもより少し注意を払い、前回コップを使用した生徒がまた水を飲みに行ったあとで確認してみると、その時はきちんと片付いていました。
実験でみえてきたこと
この違いはなんなのかと考えてみた結果、次の授業で一つ試してみることにしました。
授業を開始してしばらくしてから、あえて水道の近くに一つコップを置いてみたのです。
すると、やはりその日使用されたコップは放置されていました。
いざ気が付いてみると、その他にも同じようなことが多々あることに気が付きました。
靴はかならず下駄箱に入れるよう指導しているのですが、一人でもその指導を守らない生徒がいると、あとから来た生徒の中にも靴を放置する子がいた。
自転車通学の生徒が自転車を雑に駐輪すると、他の生徒も自転車を乱雑に駐輪し始めた。
授業を待つ生徒の中で、鞄を適当に放置する生徒がいると、他の生徒も同じように放置してしまった。
主にこういった部分が目につきました。
それまで私は、そういった生活面に関しては授業の前後に全員に向けてまとめて指導することに留まっており、そういった行為が目に留まった時に軽く注意する程度でした。
指導の徹底化と効果
一度目についてしまったのですから、放置はできません。
それまで行っていた指導に加え、
・台所や下駄箱に張り紙をする。
・鞄や荷物の置き場を指定し、こちらの目に入る範囲で管理させる。
・各授業開始前に、玄関から自転車の状況を確認して不備があれば直させる。
手始めにこういった対策を実施したことを覚えています。
そうして、徐々に目についていた問題が解消されていくと、副産物的な効果が出てきました。
それは、注意しあう空気。
使いっぱなしにしていたり脱いだ靴を仕舞わない子がいたら、他の子が注意する。
こちらが気付いていないことでも、生徒各自が互いに互いの行動を注意しあって、よりよい環境を作る空気が流れ始めたんです。
そして、人に注意する以上は自分がしっかりしていなければいけないという精神的な動きからか、気が付けばそういった生活面の問題は私が考えていた以上の速さで改善することができました。
私の教室から、割れた窓がなくなったことを感じた瞬間です。
結論
割れ窓理論とは、徹底的な取り締まりによって治安を保持・回復することができるという理論であると考えていますが、これは教室やさまざまな団体においても共通する部分が多々あるのではないでしょうか。
逆を言えば、そういった問題を軽視してしまえばその問題は徐々に大きくなり、気が付けば運営自体が破綻してしまう事態にもなりえるのではないかとも感じます。
ゴミを放置すればゴミが増え、おしゃべりを放置すればおしゃべりが増えます。
であれば、こちらにとって不利益につながる「割れた窓」を見付けたのであれば、決して軽視せず、手間を惜しまず対応する必要があるのです。
今現在も、「ヒビの入った窓」はあるかもしれません。見えていないだけで、どこかで割れた窓がある可能性もあります。
恐らくこれに関して、完全に安心できる日は来ないでしょうし、常に意識をもって授業に向き合っていこうと思います。
この業界に、防弾ガラスは存在しないでしょうから。