そろばんおじさんの毎日パチパチ

そろばんおじさんの毎日パチパチ

東北地方で細々と珠算教室を営むおじさんの綴るあれこれブログです。

知ってほしい。【強迫性障害】という病気のお話

皆さんは、「強迫性障害」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

些細なこだわりや、強い不安感によって、日常生活に支障をきたしてしまう病気だそうです。

「強迫観念」と「脅迫行為」というのが、この病気の代表的な症状なのだそうですが、他人からはもちろん、自分でもその行為や思いに意味がないのはわかっていながらも、解消できないという、当人からすれば厄介でしかないものです。

私も、そこまで深刻ではないものの、ややそういったものに思い当たる節があり、少々調べてみたのですが、思っていた以上に当てはまる人は少なくないようです。

もしかしたら、私含め皆さんの身の回りや、塾経営者等であれば教室の生徒さんにも当てはまる人はいるかもしれません。

今回は、こちらについて私なりの見解をまとめていこうと思います。

 

【前提】「強迫性障害」とは?

さて、そもそもこの話をする上では、この病気に対する一定の知識がなければなりません。

前述したとおりこの病気は、取るに足らない事柄への強い執着や、あることへの強い不安感がもとで、日常生活や業務行為に支障をきたしてしまうというものです。

恐らく皆さんも、「振り込み期限はいつだったっけ?」「家の鍵はちゃんと閉めたっけ?」といった不安から、一度自宅に戻ったり、その場で確認したりという経験はあると思います。大抵の場合なら、一度の確認で安心し、その後の行動に支障をきたすことはありません。

しかし、この障害を持つ人は、この一度の確認で安心することができない、または一度安心したとして時間を置くとまた不安感に襲われ、その確認行為を繰り返してしまいます。

これはあくまで、「強迫行為」の一例であり、実際にはこの病気の症例にはたくさんのパターンがあるようです。

生活に支障があるというほどではないですが、以下に私が頻繁に陥るパターンを参考までに書いてみたいと思います。

・ある状況下において、左右の行動回数が平等でなければ落ち着かない

これは横断歩道などを渡る際などに現れるのですが、左右の歩数が同じ状態で渡り切ることができないと、その釣り合いのとれなさに落ち着かなくなってしまい、次に横断歩道を渡る際にはその回数のズレを補う事に執着してしまいます。

同じようなことは多々あり、腕や脚、指など、体の様々な部分でその「ズレ」のような感覚をが重なり、それぞれを解消できずにいると妙にイライラしてしまう事もあります。

・特定の行動に対して行う動き回数に、偏執的なこだわりを持ってしまう

1つの行動に対して、意識の上で行ったアクションの回数を整えることに、妙に執着してしまうことがあります。

ワンセットの行動に対して回数を意識している人などほとんどいないと思います。

ですが、例えば野菜を切るときは必ず決められた回数でカットしなければ落ち着きません。

納豆をかき混ぜるときは回数こそ明確でないものの、8の倍数回ぴったりにかき混ぜなければ、落ち着いて食べることができません。

・これらはかなり軽い症状

他にも様々な場面で、妙に行動回数にこだわってしまう瞬間があり、自分でもそのこだわりに意味はないという事を自覚しています。

自分で治そうとしてどうにかなるものではないですし、今のところ生活に対して問題が出ているわけではないので、私の場合はさほど障害というほどのものでもないのかなと思います。

ですが、調べてみるとわかるように、この症状が深刻化し、生活面や就業面で大きな影響があり、問題なく日常を送ることができずに苦しんでいることも事実です。

 

【思考&行動】あなたの周りにもいるかもしれない

前項で書いた通り、私はおそらく予備軍という程度で、深刻な症状には発展していません。

ですが、こういった症状に苦しんでいる人がいるのはわかっていただけたかと思います。

さて、では実際に、あなたの身近な人に目を向けてみてください。一緒に行動しているときに、いつも不安そうな人や、行動の際に不必要に思えるアクションを挟む人はいませんか?

決めつけるわけではありませんが、もしかしたらその人は、この症状に苦しんでいるのかもしれません。

具体的な内容は個人の話になってしまうので伏せますが、私の教室にも、若干名そういった節のある生徒がいます。

もし、そういった人にその不安や行動の理由を尋ね、それが些細な理由や取るに足らないこだわりだったとしても、「そんなこと」などとは言わないで上げてほしいのです。

前述の通り、その執拗な不安感や偏執的なこだわりが、実際には無意味なことであるということには自覚があります。自覚があるからこそ、それに捕らわれていることに苦しんでいるんです。

なにか解決策が欲しいわけでもないですし、もちろん馬鹿にされて悔しくないわけもない。

だから、身の回りにいる近しい誰かのそういった場面に遭遇したのであれば、「そういうもの」として、なにも特別なことをせず、ただ受け入れてもらえるだけで救われる人は、決して少なくないと考えています。

 

【周知】治療法はある

この病気の発症には、性格・生い立ち・ストレスなど様々な要因が関連していると考えられているようですが、現在明確な原因ははっきりしていないということです。

しかし、その症状に対する研究は日々進んでおり、しっかりとした治療を行う事で改善・完治を見込めるとの事です。

行動療法と投薬を並行して行うことが有効とされているとの事ですが、この病気の治療には、自発的に「治す」という意欲を高めることが不可欠だとの記述もありました。

「病は気から」という言葉もあるように、やはり自身が治療に対し前向きな姿勢で臨むことは重要だということですね。

 

【まとめ】

素人ながらこういった記事を書いてきましたが、中には間違った解釈が含まれているかもしれません。

ですが、私個人としてはこの病気への理解が高まることで、今現在苦しんでいる人が少しでも前向きになっていただければと思い、この記事を書かせていただきました。

前述しましたが、これに該当するのではないかと感じる生徒に対しても、その可能な限り特性に寄り添った対応を心掛けてみたところ、以前よりも活発かつ積極的にそろばんに打ち込んでくれるようになったように感じます。

この病気は自覚がない人も多いらしく、「癖の延長」程度の解釈をしている人も多いと目にしました。一人でも多くの人にこの病気の存在を知っていただき、治療法があるということを知っていただくことができればと思います。

もしこの記事を読んで、自分も当てはまるかもしれない、周りにもいるかもしれない、と思った方がいましたら、一度調べてみてはいかがでしょうか。

【休日の過ごし方】私が早起きの重要性を思い知ったお話。

 今日は、珠算指導者講習会に参加してきました。

 正直なところ、こういった講習会って場合によっては内容に共感できずに、言っていることは理解できるけど実感に繋がらない、というパターンが少なくないように感じるのですが、今回に関しては講師の先生が講師慣れしていることもあってか、非常にわかりやすく、要点もしっかりと頭に入ってきたのでとても充実した内容に感じました。

 得た情報をしっかりと実践していけるように、頑張ります。

 

※ここから先は、下手な落語のようなものだと思って読んでください。 

 

 ところで、誰もがそうだと思うのですが、「やる気が出ない・・・」という瞬間ってありますよね。理由はわからないけど、とにかくやるべきことややりたいことを実行に移す意欲が湧いてこない瞬間。

 やるべきことややらなければいけないことに関しては、やる気がどうとか関係なく行動しないとのちのち困るのは自分ですので、結局はやるんですが、こと「やりたいこと」に関してはついつい先延ばしにしてしまう。

 自分が好きで望んでいることのはずなのに、時間のある日曜日も気が付けば夕方、ダラダラしてたらサザエさんのエンディングが流れている。結構、そういう方は私の周りにも多いようです。

 私も、以前はそういったことが多く(今でもたまにありますが)、せっかくの休日を無為に過ごしてしまっていました。

 やっちゃったなー、なんて考えながらも、具体的に何かを変えることもなく無駄にしていたわけですが、あることがきっかけで徐々に改善することができました。

 

 あることというのは、何かの本を読んだとか、誰かの言葉に感銘を受けた、なんて特別なことでもなんでもないんです。

 ただ、ある土曜日に友人の家で飲み会をした日の事です。

 翌朝、男4人で雑魚寝をしている私のおでこに、友人のスマホが落ちてきてきたんです。

「いってえな!!」

 そんな寝起きで機嫌がよいわけもなく、時計を見ると朝の5時。二度寝をしようかとも思いましたが、狭いワンルームに男4人の雑魚寝です。一度目が覚めてしまえば体勢が苦しくてとても眠れたもんじゃない。

 さて、しこたま飲んだ翌朝です。私はもともと酒は残らないタチですが、水分はかなり持っていかれています。煙草も切れている。

 眠気覚ましにはちょうどいいと、歩いてコンビニに行くことにしたんですが、その時に一人の友人が目を覚ましまして、

「おう、目え覚めたんならコンビニいかんか?」

「あー、なんか飲み物買ってきて」

「いいから一緒にいくべ」

「えー、まあいいけど待って財布とる」

そういって半ば強引に一緒に連れていったんです。

 季節は秋も本番、朝は冷え込む時期ではあったんですが、逆にそれがよかったのかもしれませんね、連れ立ってコンビニに到着するころには、すっきり頭も冴えてきた。

 と、そんな冴えた頭です。そういえば急遽決まった泊りだったので、朝ごはんを買っていないことに気が付きました。

 米もない。昨晩小腹が減ったからと、炊飯器の中のご飯を全部チャーハンにしたことを思い出しました。

 一緒に来た友人と話して、4人分の朝食といくらかの飲み物を買って帰ることになりました。

 たばこ、コーヒー、朝食を買って友人宅に戻ると、あとの二人はまだ寝ている。それもまあ仕方のない話で、この2人、どうも酒となると途端に歯止めが利かなくなりまして、寝る寸前ギリのギリまでグラスを手から離さないような始末。

 毎度毎度二日酔いに苦しむのはわかっている筈なのに、なにがそうさせるんだかと、一緒に戻ってきた友人と呆れたもんです。

 そんなこんなで我々起床組が買ってきた朝食を食べ終わり、テレビを見ながら煙草を吸っていた頃、ようやく呑兵衛2人も起きだしてまいりました。

 朝食を買ってきたことを告げると、

「めっちゃあったまいてえ」

 とでも書いてありそうな顔色で食べ始める。

 2人がサンドイッチとブラックコーヒーを平らげ、一通りの身支度を整える頃には既に10:30を回っていました。

 さて先ほど、「急遽決まった」と書きましたが、これにはわけがありまして、せっかく全員の休みが合ったのだから、泊りで飲んで日曜には出かけようという話になったんですね。

 どこに出かけるかといえば、どうも紅葉が綺麗らしいという事で、紅葉見物がてらその近くの参道で饅頭でも食おうじゃないかという話。

 さて時間も時間ですし、急いで出かけなければ道も混んでしまいます。いざ車に乗り込み、出発。途中コンビニで飲み物やつまむお菓子などを買い込んで、走らせること1時間、目的地に到着、とここまではいいんですが、この時点で先ほどの呑兵衛2人はどうも具合が悪そうだ。

 どうしたのかと聞いてみれば、起き抜けに急いで食事をして、間をおかずに車に乗ったことで車酔いがひどいとの事。

 しばらく休んでから合流するという事で、我々起床組だけでまずは紅葉見に出発すると、これがまた見事に色づいた美しい光景が広がっており、

「これはわざわざ足を運んだ甲斐があったもんだ」

としばしの間感慨に浸っていると、おそらくツアーのものであろう観光バスが2台3台とやってまいりました。

 見ていると中からはおそらく老人ホームか敬老会かといった一団がぞろぞろと降りて参りまして、これはギリギリのところだった、もう少し遅ければゆっくり見てもいられなかったなと安心したものです。

 さて置いてきた2人はどうしてるかと思い、車に戻ってみたものの、やはりまだ体調はすぐれない様子ながら、動く気力は戻ったよう。

 とはいえ人の多い中をかいくぐりつつ紅葉を楽しめる状態ではないという事で、仕方ない、饅頭を食べて帰ろうかというお話に。

 さていざ饅頭を買って食べようかとなったところ、これまたこの2人どこか浮かない表情

「食わんの?うまいよ?」

「いやー、今揚げ物はちょっとキツイ」

「たしかにな、んじゃあそれ俺が食うわ」

 そう、その饅頭ってのは皮肉にも、揚げ饅頭だったんですな。

 結局2人は紅葉も見れず、饅頭を食べることもできず、お土産用に饅頭を買い、引いたおみくじは末吉で、帰りに寄った喫茶店でコーヒーとアイスクリームを食べただけ。

 いやはや、酒を飲んだ翌日という事もありますが、朝起きる時間が違うだけでこんなにも充実度が違うものかと思ったもんです。

 朝しっかり起きることがいかに大事かと身に染みたお話でした。

取り込もう!教室をよくする強い味方、その名は【保護者】!!

 先日、授業料納入の為に教室にいらっしゃった保護者の方と少々お話をさせていただきました。

 その際、五月の検定試験の申込も持ってきていただいたのですが、その生徒が初めて段位暗算検定試験を受験するという事で、段位検定のシステムや日程などについて少々お話させていただいたのですが、その中でどういったレベルの問題にチャレンジしているのかをご理解いただいていなかったようで、練習問題を見て頂きました。

「こんな難しい問題やってるんですね!」

 問題を見た第一声です。話を聞いてみると、学校やそろばんの宿題は自室でこなして、普段ご両親の前で勉強やそろばんの練習をすることはほぼ無いという事で、どういった練習をしているのか、どのくらいの実力なのかといったことを、把握していなかったとのことです。

 あまり教室にお見えにならない保護者でしたので、なかなか直接お話させていただくことができなかったのですが、これを機に保護者様方とはもっともっと積極的に関わっていく必要があると改めて認識した出来事でした。

 

 これに伴い、今回はいかに生徒の保護者と付き合っていくか、どのように教室に良い影響をもたらすことができるのかを考えていこうと思います。

 

 

 

前提

 以前の記事にも書いたように、こどもにとって両親とは非常に大きい存在であり、特に低学年であれば、時として絶対といっていいほどの影響力を持っている場合も少なくないでしょう。

 

 例えば本人にやる気があったとしても、ご両親が珠算学習の継続を望まなければ、いずれ退会してしまいます。そのくらい、保護者の意向というものは我々のような職業からすると繊細な問題です。

 ですが、逆に考えてみれば、保護者に珠算教育に対して好意的な理解をもって頂ければ、これほど心強いものはないのではないでしょうか。

 

予測される効果

 では実際、好意的な理解を得ることができ、協力的な姿勢を得ることができればどのような影響があるのかを想定してみます。

 

生徒の意欲が上がる

 恐らく、これがもっともわかりやすい影響として出てくるのではないかと思います。

 何度も言うように、親の態度は子に大きな影響力を持ちます。親が日常会話の中で、そろばんの話題を積極的に出して、成果や点数に興味をもち、褒めてくれることで、

「もっと褒められたい!」

「喜んでほしい!」

という前向きな感情で学習に向き合ってくれるのではないかと思います。

 そして、意欲をもって学習することはそのまま効率に直結する部分がありますので、この効果がもたらす影響は非常に大きいものではないでしょうか。

 

検定試験・競技会への参加

 特に統計を取ったわけではないですが、やはり理解のある保護者が少ない時期では、検定試験やコンクールなどの案内を配布しても参加率がさほど高くないようです。検定試験に関してはそこまで大きな差異はないですが、コンクールや競技会への参加率は著しく低下するように感じます。

 逆に、珠算への理解度が高い保護者が多い時期では、案内を渡したうちのほぼ全員が申し込んでくれるという事もあり、あの時は申請用紙の記入が大変だったなあとうれしい悲鳴を上げたことを覚えています。

 

積極的な口コミ

 正直なところ、経営者が最もうれしい効果はこれなのではないかと思います。

 「そろばんは有効な習い事だ」という考えをもってもらうことができれば、同級生の保護者間での情報共有の場などで話題に出してもらう事も出来ますし、その話題が好意的なものであれば新たな生徒の獲得に直結してくれるでしょう。

 逆に、期待していたよりも学習効果を得られていないと保護者が感じていたとすれば、そういった場においてむしろ悪い評判が立ってしまう可能性すらあります。

 

実現にむけて

 では、上記の効果を実際に得るためにすべきことを考えていきたいと思います。

 

こまめな情報の伝達

 塾報などを発行している教室がほとんどだと思います。私の教室でも発行はしていますが、そこに書いてある内容は

 

・検定試験の合格者一覧

・コンクール等の結果

・次の月の予定

・教室内競技の成績表

 

 この程度であり、正直なところ必要最低限のことしか書いていない状況。

 これでは、実際の教室の様子やこどもがどういった内容を学んでいるかの実態が見えてこないですし、ご家庭で話題にするには情報が少なすぎるように感じていました。

 ですので、私はこの塾報を一から見直し、親子で一緒に読みたくなる教室新聞のようなものを作るために試行錯誤しているのが現状です。

 

各種案内にメッセージを添付

 これは以前から、あまり受験や参加に積極的でない生徒に対して行ってきた事です。

 生徒本人に聞いてみると、「自信がない」「合格できなかったら怒られる」といった理由が非常に多く、中には保護者に案内を渡してすらいない生徒もいました。

 そういった生徒に対して、ただ案内を渡しても同じ結果になることは目に見えていました。しかし、こちらから見れば十分に合格できる実力はありましたし、検定試験を受験してほしいという思いもありました。

 ですので、そういった案内を渡す際に、直近三回程度の練習結果と受験のお願いの文書を添え、案内とともに封筒に入れてお渡しするという方法をとってみたのですが、過去数度この方法で案内を渡した生徒は全員、申込を持ってきていただくことができています。

 案内を渡す全員に、このような方法を実施することは難しいですが、申込書にメッセージを書いた付箋を添付する程度ならば十分可能ですし、やってみる価値は高いのではないかと考えました。来月より実験的に実施してみようかと考えています。

 

保護者来訪のチャンスを全力で活用

 これはすべての保護者に対して行う事はできませんが、冒頭で述べたように授業料の納入や申込を持ってきていただくタイミングなどで教室に来ていただく機会は少なくないので、こういった瞬間をみすみす逃すのはもったいないんですよね。

 これまでそういった機会には、必要な情報の共有以外ではご家庭での様子や直近での教室の様子をお話するだけで、積極的なやりとりをするには至っていませんでした。

 ですが、こういった機会にこそお話すべきことはあるのだと気が付きました。

 私が直接褒めるだけでも生徒は喜んでくれるでしょう。ですが、それがより近しい両親からの言葉であればなおさらです。そしてそういった経験こそ、意欲を高めるためには非常に大きな力を持つのだと思います。

 ですので、最近そういった機会にお話する内容としては、直接褒めてあげてほしいポイントや、これからその生徒にどういった指導をしていくか、といった、少し具体的な内容を心掛けるようにしています。そろばん以外でも、生活面などでいいことがあった場合にはそういった点も伝え、時間が許す限りは積極的にコミュニケーションをとるようになりました。

 

まとめ

 いつもの事ですが、今回はさらに理想論たっぷりな記事になってしまいました。

 ですが、理想なくして向上なしと思います。

 まずは掲げ、考え、実践し、反省の後また実践。これを繰り返し、可能な限り理想を実現できるよう、日々精進したいと思います。

 

 さて、昨日の記事が思ったよりも閲覧数が多く、大変うれしく思います。

 これからも皆様に見て頂けるよう、より質の高い記事を目指してまいりますので、どうぞよろしくお願いします!!

ある事情を抱えた生徒への対応に試行錯誤したお話

 先日、とある生徒の保護者から通学に関するご相談のお電話を頂きました。その生徒さんは、とある発達障害を抱えており、一人での通学や留守番が難しいという事で、児童クラブから私の教室に通って頂いている背景があります。

 今回はその相談内容にはあまり関係がないのですが、その子のお母さまとお話させていただいたことや、その生徒を指導するにあたってうまくいったこと・失敗したことなどを基に、少し私の考え方を記事にさせて頂こうと思います。

 この記事を読んでくださった方の中に、もしかしたら同じような問題に直面している方もいらっしゃるかもしれません。そういった方に、何か一つでも参考になることを残せれば幸いです。

 

 

 

その生徒について

 個人情報などの観点もありますので、具体的な情報は伏せますが、その生徒さんは初めて教室に来た時から他のお子さんとは少々違うように感じていました。

 

 落ち着きがない。返事がない。ちょっとしたことで気が逸れてしまう。

 

 正直なところ、第一印象から不安がありました。

 どうにか体験入学を終え、次の授業日には入会して頂き、晴れて正式に生徒となりましたが、初めに感じた不安、違和感は的中します。

 私がなにか指示をしても、まずはその時にしていることがひと段落しない限りは行動しない。私が他の生徒へ指導している時に口を挟む。そういったことが徐々に出てきたのです。

 最初のうちは、他の生徒さんにするときと同じように毎度注意し、それでも直らなければ、少しずつ語気を強めるようにして注意していましたが、今考えればこれはその生徒に関しては完全に裏目に出ていたことが、のちに発覚します。

 

発覚

 ある日の昼、その生徒の保護者様から電話がかかってきました。

 どうやら、その疑いがあるとの事で、詳細に検査をする、という事になり、仮にそういった発達障害を抱えていたとしたら、そろばんを続けることは可能か、というご相談でした。

 その時、私は正直悩みました。そういったことへの確かな知識もなく、適切な対応を執ることができるかの自信もありません。他の生徒への影響などを考えた時に、もしかしたらこれは断ったほうがよいのかもしれない。そんな考えも、正直ありました。

 ですが、私はこの仕事を始める際に考えていたことを思い出しました。

「珠算教育を通じて、地域社会に貢献する」

 この時、これを思い出さなければ、この生徒を受け入れるという選択をしていなかったかもしれません。

 時間の都合もあり、そのお電話の際にははっきりと返事をすることはできませんでしたが、その日の夜にこちらから受け入れのお電話をさせていただいたことを覚えています。

 

勉強

 受け入れる選択をした以上、最低限の知識を身に着ける必要があります。

 その子のお母さまから伺った症状について調べてみようと思い、書店で関連書籍を探してみると、本当に様々なパターンがあるという事を知りました。

 発達障害の他にも、学習障害というジャンルがあることを、私はその時初めて知りました。そのくらい、本当に自分には何の知識も無いのだという現実を改めて実感しました。

 さて実際にそういった書籍やインターネット等で情報を集め、あくまで独学ではありますが勉強してみると、あることに気が付きます。その生徒以外にも、あてはまる特徴を持つ生徒が思ったよりもたくさんいるという事。

 

 集中が続かない。一つ事を継続できず、気分で様々なことに手をつけてしまう。話を最後まで聞けない。

 

 他にも多種多様な特徴がそこには記されており、こと低学年の生徒に関しては、一つ一つに焦点を絞ればそれらの特徴に一つも該当しない生徒はほぼいませんでした。 

 そして、その中「これらに当てはまったからと言って、必ずしもそういった診断が出るとは限らない」という記述もありました。

 ではその決定的な違いとはなにかといえば、はっきり言って納得のいく明確な線引きは無いに等しい、というのが私の調べた中での結論でした。もしかすると、程度の問題であるというのが最も正しいのかもしれません。

 

実践

 とはいえ、その生徒に関していえば、他の生徒達と同じ対応をしてもうまくいかないことはそれまでの様子ではっきりしています。

 ではどのようにすれば円滑に指導を進めることができるのか。もちろん、その中で他の生徒達から見て不公平や贔屓に見えるような対応をするわけにはいきません。一人の為に他の全員との信頼関係を崩してしまっては本末転倒です。

 まず調べた中で最も配慮すべきことは、どうやら「言葉がけ」であるという事でした。

 小さいことでも褒める。否定するのではなく、これからすることに興味を持たせる。そのときにその子がしていることに、こちらが興味を示す。

 基本的にはこういった態度を入り口に、徐々にこちらの指示をスモールステップで伝えていく。

 そしてその時に、決して焦ってはいけないとのこと。

 

 しかしこの、スモールステップというのがなかなか難しいものです。

「準備をしましょう」

 という指示を授業開始時に生徒に伝えた場合、大抵の生徒はカバンから必要な道具を取り出し、最初に何をするのかの指示に備えます。

 ですが、この生徒はこの言葉だけでは動きません。

 はじめのうちは、無視しているのか遊びに夢中なのだと考え、強い言葉で叱責していましたが、実際はそうではなく、「準備」というものが具体的にどういった行動を指すのかがわかっておらず、理解できていないからいつまでも遊びを続ける。というのがその生徒の精神的な動きだったようです。

 これを解消するためには、単純にその生徒に理解できる単位での指示を与えればよいという事に気が付いてからは、びっくりするほどスムーズに導入に移ることができました。

 カバンを開ける。必要な道具を取り出す。カバンを仕舞う。鉛筆を取り出す。プリントを一枚とる。名前を書く。

 一つ一つの指示をこなしたことを確認し、次の指示を出す。こういった形で準備を整えていけば、しっかりと従ってくれることがわかったのです。

 そして、徐々に導入がうまくいくようになってから判明したのが、その生徒はスイッチが入ってしまえば物事の覚えはよく、さらに一度集中してしまえばいつまでも続けることができるという特徴を持っているという事です。

 なかなか毎回スイッチを入れることは難しいのですが、そういった長所があるおかげで、進み方は違うものの他の生徒と比較しても学習スピードのはっきりとした差が生まれることはありませんでした。こればかりは幸運だと思っています。

 

まとめ

 今回書いたことは、あくまでも特定の生徒一人に関しての例であり、この方法が必ずしも通用するという事ではないと考えています。さらに言えば、その生徒に限ってもいまだに予想外の行動に出られてしまうと、とっさの対応を誤ってしまい、そのあとはこちらの話を一切聞いてくれないという事も時にあります。

 先ほども書いたように、疑わしい特徴を持つ生徒がいることも事実であり、おそらくはこの先、そういった生徒が全くいなくなるという事も無いのでしょう。

 そして、調べてみるといまだに様々な新しい症状の報告などもあり、小学生の生徒を預かる身としては、これからもよりしっかりと勉強していかなければいけない分野なのではないかと感じています。

 私が子供のころは、あまりこの「発達障害」「学習障害」というものへの理解が広まっておらず、ほぼ十把一絡げに扱われていたようにも思いますが、現代では様々な症状への理解が広まり、その一人一人への適切な対応や対処が求められる時代になっていくでしょう。

 これに限った話ではないですが、正しい知識や見識を持ち、常に更新していく姿勢を忘れてはならないのだとして、今回は締めさせて頂きます。

 御読了、ありがとうございました。

 

この髪どうしてダメですかって、言うほど大人もわかっちゃいない。

 朝、Twitterを眺めていたらびっくりしましたね、フランスのノートルダム大聖堂が火事という事で、いずれ一度は訪れてみたい場所の一つだったので非常に残念です。

 改修工事に際して使用されていたはんだが火災の原因という報道もあったようですが、改修する作業で火災が発生とはまたなんともコメントしづらい経緯ですね。所蔵されていた文化財や美術品は運び出されたことで難を逃れたという事なのでそれだけは救いですね。

 

 

 今回の本題ですが、ちょっと最近Twitterなどで気になった話題について私なりに書いていこうかと思います。

 その話題が何かというと、#この髪どうしてダメですか というハッシュタグについて。そしてそこから派生した、時代に合っていない校則や、「高校生らしさ」という言葉についてです。

 ※今回少し文体を軽くまとめてみようかと思います。

 

 

 

どうしてダメなの?

 これですが、根本的な理由としてはとってもわかりやすいんですね。

 以前もこういったことが話題になっていた時に読んだ記事によると、

「学校の評判が下がるから」

 というのが本音のようです。

 たしかに、高校側としては受験生やその保護者、近隣住民からの評判が落ちて入学希望者が減ってしまうことを避けたいのは当然です。同程度の条件の高校、どちらを受験するか迷った時に、より心象のいいほうを選ぶのはまあ、当たり前の行動でしょう。

 でも、学校側としてはそんな事情を生徒には伝えません。当然です。「評判下がるから髪の毛染めるな!!」なんて言えるわけありません。

 だから、そういう時に出てくるんですよね、「学生の本文は勉強なんだから、チャラチャラするな!」「高校生らしくしろ!!」なんて言葉が。

 でもこれ、正直関係ないでしょう。茶髪の生徒が黒髪に戻したからって急に勉強に集中し始めるわけでもなければ、黒髪だけど勉強もせずにチャランポランだった私みたいな高校生もいるんですよ。

 

高校生らしさってなにさ?

 前項でも出したこの言葉、いろいろ考えてみたんですけど、「大人にとって都合のいい高校生」であることだよなあという感。

 大人のいう事に逆らわず、勉強や部活に精を出し、想定外を生み出さない。そんな姿勢を大人が勝手に「高校生らしさ」と呼んでいるだけで、まったく実が伴っていないんじゃないかって。

 本来は高校時代なんて、大人と子供の狭間の時期で、いろいろなことに興味を持ち、体験し、達成感や後悔や様々な影響を吸収していくべき時期なのに、それを大人の身勝手で可能性を潰してしまうのは如何なものかなあ、と思います。

 

学校だけが悪いの?

 散々学校がどうだこうだと書いてきましたが、全面的に学校だけが悪いというわけでもないんですよね。

 茶髪の生徒が多い学校に対して、良いイメージがないという共通意識がその根底にあるのが問題なのです。

 現状、国際化が進んでいく中で、ハーフやクオーターといった方も増えてきていますし、そうすれば生まれながらに黒髪ではないという生徒も増えてくるわけです。純日本人でも、色素が薄く髪色が茶色に近い方もいらっしゃいます。

 そのような時代にありながらいつまでも古い考え方に固執して、凝り固まった価値観に対して一切の疑問を持たない大人の頑固さこそが問題なのです。

 そういった時代の流れに合わせて校則を変えていく必要があるんです。

 

結局のところ

 自分たちにとって都合のいい価値観を下の世代に押し付けて、口では多様性・国際化社会などとのたまうような二枚舌さを自覚し、無意味な偏見や先入観を捨て、しっかりと今を見据えて判断することが、今我々大人が真っ先に取るべき行いなのではないでしょうか。

そろばんで百万円!?99人の壁を目指してそろばんクイズ!!

  突然ですが、クイズって楽しいですよね。テレビでクイズ番組などが放映しているとついつい見てしまいます。

 クイズ番組の中でも、東大王と99人の壁という二つの番組が好きなのですが、本日放送していた99人の壁を視聴している際にふと思ったのです。

「ジャンルそろばんで出場できるのでは・・・?」

 よし、これは応募待ったなしだな!と思ったものの、いざ考えてみれば私はどれだけそろばんというものを理解しているのか、どれだけの知識があるのかと問われれば、さほど自身があるわけでもないんですね。

 だがしかし、知識がないなら身につければよいのだ!勉強だ!!学習に終わりなし!!

 ということで今回は、私が勉強した知識の中から、そろばんに関するクイズを出題したいと思います。

 お前が出題者になってどうする!というご意見はまあ、目を瞑っていただければ幸いです…。

 

 

【そろばんクイズ】

【第一問】1979年にSHARPより発売された、電卓付きそろばんの商品名はをカタカナ4文字で答えよ。

 

【第二問】新紙幣にその肖像が採用されたことでも話題になった渋沢栄一氏が各地で行った講演・講話を、編集し一冊の本にまとめた著書のタイトルは何でしょう?

 

【第三問】膝を負傷しサッカーを続けることを断念した高校生を主人公とした、漫画家・鈴木有布子先生によるそろばんを題材とした漫画作品のタイトルは何でしょう?

 

【第四問】左手に持ったそろばんを楽器のようにかき鳴らす芸でかつて一世を風靡し(?)、「さいざんす」のセリフでも有名な、本名を大谷正太郎という歌手の芸名は何でしょう?

 

【第五問】「現存する最古のそろばん」とも言われる、1846年に発見された紀元前300年頃に制作・使用されていたとされるそろばんを、発見された島の名前からなんと言う?

 

【解答編】

【第一問】答えは「ソロカル」でした!

 何度か実物を見たことはあるのですが、実際にこれを使って計算をしたことはないのです。

 アナログ→デジタルの変遷の中で生まれた、ノスタルジックな一品ですね。

 昭和の企業などを映した製造などではそろばんを使っている光景を見たことがありますが、もしかしたらそういった場でもこの商品が使用されていたのかなあなどと想像してみるのも楽しいですね!!

 

【第二問】答えは「論語と算盤」です!

 道徳と経済を論語と算盤に置き換え、その二つの一致こそが必要であるという論説ですが、こういった過去の名著といわれる本を読むというのも、大事なのかもしれませんね。

 そういえば、「経済」という言葉は「経世済民」という言葉の略語だということを最近知りました。疑ったこともなかったのでかなりインパクトに残りますね。

 

【第三問】答えは「願いましては」!

 この漫画は依然購入して読んだことがあるのですが、サッカー一筋だった少年が高校入学と同時に珠算に出会い、珠算部の仲間に刺激されて徐々に楽しさに目覚めていくという、王道のような少女漫画でした。

 今でも購入できるようですので、興味が湧いた方がいらっしゃいましたら是非読んでみてはいかがでしょうか?

 

【第四問】答えは「トニー谷」さんでした!

 この問題を作るために一度トニー谷さんの当時の動画を探して視聴してみたのですが、この芸で使用していたそろばんは一珠が五つあるタイプのものだったんですね、時代的なことを考えれば当たり前だったのかもしれませんが、その時代を直接知らない私としては「いわれてみれば!」というような感覚でした。

 実際に、この芸を生徒が教室で真似ていたら、皆さんはどうしますか?私は、もしかしたら笑っちゃうかもしれないですね・・・。

 

【第五問】最後の答えは「サラミスのそろばん」!

 ギリシャサラミス島というところで発見されたことで、このように呼ばれているようですね。

 そろばんって、歴史的に見るとその起源にははっきりとした答えがないようですね。砂そろばんや溝そろばんなどを経て、人類がその英知を高めるとともにその時代に合わせて進化してきた道具なわけです。

 ならば、もしかするともう少し先の未来では、さらに進化したそろばんが生まれているかもしれない!なんて考えると、ちょっとワクワクしてきませんか?

 

おわりに

 ということで今回は、そろばんに関するちょっとしたクイズを考えてみました。楽しんでいただけたでしょうか?もし出題と解答・解説に不備や間違いがありましたら申し訳ございません。

 正直、そろばんクイズと言いながらも内容にはそろばん要素が薄い気もしますが、そこは寛大な心でお許しください!

 問題にしていない部分でも、ちょっと調べてみると意外な事実などがわかったりして楽しかったので、また同じようにクイズを作って記事を書いていく事があるかもしれません。

 さて、いつか99人の壁に、ジャンル「そろばん」で出場し、百万円を獲得するためにも、もっともっとたくさんの知識を身に着けていきたいと思います!!それでは!!

辞め時を決めるなんてもったいない!!珠算学習に終わりなし!!!

  四月も十日を迎えたというのに、昨晩の降雪で朝は冬のを忘れさせてはくれぬ寒さにより布団から抜け出すのが大変でした。既にスタッドレスからノーマルに履き替えた方も多い中で、若干の道路状況への不安もありましたが、どうにか無事帰宅し、この記事を書いております。

 さて今回ですが、教室に通って頂いている生徒さんの中に時々いる、とある性質の生徒さんについてを考えていきたいと思います。

 

 

 

【○級までやったらやめる】という生徒

 今回のテーマは、こういった生徒についてです。おそらくですが、どの珠算塾でも一人はそういった生徒がいらっしゃる、もしくはいらっしゃったことがあるのではないでしょうか?

 私の教室にも、こういった事例は何度かあり、現状でも一名、そういった生徒が通っています。優秀な子で、これからは競技も視野に入れて指導をしようかと考えていた矢先に、

「私2級合格したら辞める」

と宣言されてしまいました。

 お話を聞いてみると、どうやらその子のご両親も過去にそろばんを習っており、お母さんが2級を合格してそろばんを辞めたというのがその発言の根拠だったようです。

 思い返してみれば、過去にも同じような例があり、これまでなぜその問題に対して無頓着であったのかと後悔の念が湧き出てきました。

 ですので、今回はそういった生徒の傾向を考え、有効な対策はないかと考えてみましたので、まとめていこうと思います。

 

【最終目的】を決めてしまう生徒の傾向と対策

 まず、同じようなパターンとしても、その背景事情は様々です。ざっくりとまとめてみましょう。

 

1・一定の学年に進級するタイミングで、学習塾に切り替えることが決定、もしくは検討している。

 最近ではこのパターンが多いように思います。

 

 以前の記事でも言及したように、こういったケースでは生徒本人としてはそろばんを続けたいという意思が残っている場合がありますので、保護者との面談や、両立するためのプランを提案するといった対応が有効になるでしょう。

 事実として、先月をもって退会を考えていた生徒が一人、ひとまず両立を目指すということで留まってくれましたし、それまでも数名は両立という道を選んでくれ、結果として教室を引っ張る存在にまで成長してくれた時もありました。

 そういった経緯から、普段の授業態度を鑑みて、もしも少しでもそろばんを楽しんでいる様子が感じ取れたならば、その生徒には両立を勧めるべきと考えています。

 過去の事例などをまとめて、保護者に訴えかける資料などを作成するのもありかもしれませんね。

 

2・「○級まで合格したら辞めていいよ・合格するまで辞めちゃダメ」と保護者に言われている。

 このケースが個人的には最も厄介なように感じます。

 教室でいくら信頼関係を築こうとも、こどもにとって親の言う事や家庭で見聞きした事は基本的に絶対に近い価値観として刷り込まれてしまい、こちらと保護者とが違った意見を述べた時、高確率でこどもは親の意見に従うでしょう。

 そういった条件下で、お父さんやお母さんからこのような言い回しをされてしまえば、その生徒はその級を合格することが目的になってしまいます。

 そしてそれは、次のような弊害を引き起こします。

・その先を考える必要がないから、その為の練習しかしない。

・「辞めてもいい」という言葉によって、いつしかそろばんを面倒なものと感じてしまう。

・「○級で辞める」という宣言を他の生徒にしてしまい、それに引っ張られた生徒にもそのスタンスが伝染する。

 ほかにも沢山の例があるでしょうが、これらは我々珠算講師にとっては何一つプラスになりません。

 

 では、これを改善するためにはどうするか、あくまで私のやりかたですが、一番初めの体験入学や概要説明の際に、そういった言葉を極力避けて頂くようにお願いをするようにしています。

 ただお願いするだけではあまり説得力がないので、前述した弊害や、それに伴う学習意欲への影響などを(少し大げさに)説明し、珠算学習に終わりはない、というイメージを丁寧に伝えるようにしています。

 実際、その話に保護者が納得して頂けた生徒からは、こういった言葉は出なくなったように感じます。

 しかし、これだけでは足りない。もっと効果的なノウハウをご存知の先生がいらっしゃいましたら、是非ともそのお知恵をお教え頂きたいです!!

 

3・「お父さん・お母さんがここまで合格したから僕・私も!!」

 このタイプ、こっちからすると本当に「なんでやねん!!!」って感じですよね。親を超えろよ!!とか思ってしまいます。

 特に、兄や姉が合格した級や段位を最終目標にしてしまうケースの多さがとても辛いですね。

 以前いた例ですと、お兄ちゃんが六年生の三月にギリギリ受かった一級を、三年生で合格した生徒がおり、これから伸びるぞ!代表選手にするぞ!!とこちらが意気込んだところで「やめます」と言われた瞬間の喪失感は今でも思い出したくないものです。

 その子に関しては、結局続けてくれたのですが、その要因はお母さんが継続を希望してくれたことが大きい要因だったように思います。とはいえ、他の習い事の人間関係で疲れてしまったようで、半年で教室を去ってしまったのですが・・・。

 このタイプに関しては、正直ご家庭で珠算教育に対する期待がどの程度なのかによってその後が決まってしまう部分があると思います。指導を通じてどれだけこちらの熱意を理解してもらうか、いかに生徒本人にそろばんを好きになってもらうか、といった部分が重要になるのかなと考えます。

 

「辞める」理由を超える「続ける」理由を!

 結局のところ、一定のラインをもって学習に区切りをつけてしまう生徒の大多数は、さほど大きな理由もなく決めてしまった目標に引っ張られているに過ぎないのではないでしょうか?

 そして仮に、根拠をもって辞めるという方向に考えているとしても、こちらから適切な案を提示することで継続してくれる生徒は少なくないと考えます。

 この記事の中でもどこかで書きましたが、

珠算学習に終点無し

 というのが私の指導における最も根本的な考えです。

 せっかく始めた珠算という文化ならば、簡単にゴールを決めず、限界まで高みを目指してほしいと思うばかりです。

 そして、その為には指導者たる私自身がその考えのもとに行動し、伝えていかなければと感じます。