今話題のSNS「ROOM」と「CTime」を始めてみたぞ!!
ブログを始めて一か月ほどですが、気が付けばこれまで見過ごしていた様々なことに目を向けるようになってきたことを実感します。
なにか新しいものに挑戦したり、始めたりすることに積極的ではなかったのですが、いざ始めてみると面白いものですね。
そんな中で、最近二つほど新しく手を出してみたものがあり、今回はそれについて感じたことを書いていこうかと思います。
ROOM(楽天)
これは今月に入ったころに始めたのですが、仕様を理解するまで少し時間がかかりました。(というか、単純に勘違いしていたことが多かっただけなのですが・・・。)
楽天市場で購入することが可能な商品を、自身の完成でコレクションとして紹介し、自分のコレクションから商品が売れるとその中から数パーセントのポイントがもらえる、という仕組みのようですね。
あまり人にものを勧めるという事をしないので、はじめのうちは少々手間取りましたが、回数を重ねるうちに徐々に慣れてきたのか、商品に対して紹介分を考えたり、よりよい商品を考えたりといったことが楽しくなってきました。
また、頻繁にいいねをしてもらえたり、フォローして頂けることもあって、モチベーション維持が比較的容易なのも大きなポイントかもしれませんね。
それと、このROOMというアプリを始めたことで改めて思ったことが、楽天市場って、思った以上に本当に幅広い商品の扱いがあるんですね。正直、ダメもとで検索した商品が複数候補出てきたりと、自分が買い物をするだけではわからないことだったので、知れてよかったかなという事でした。
そして、本日初めて私のコレクションから売り上げがあったようで、思わずスクリーンショットを撮ってしまいました!
実際にこういった結果が出ると、やはりうれしいものですね。
この一回だけではなく、もっと良い商品を紹介していけるように頑張りたいと思います!
とはいえ利益だけではなく、これからも気長に楽しんで続けていこうかと思います!
CTime
これは今日の授業前に、Twitterで目にしたことで興味が湧いたのでインストールしてみました。
帰宅後数時間ほど触ってみた感覚ですと、Twitterや他のSNSと比較しても断然にアットホームな雰囲気ですね。
ちょっとした一言にも沢山のユーザーが反応をくれたり、一人一人がこのサービスを楽しんでいるような雰囲気があります。
どうやら、公式インフルエンサーという制度があり、それに認定されると毎月プレゼントや収益が生まれるといったシステムのようですが、それを差し引いてもこののんびりとした空気のSNSは新鮮ですね。
朱に交われば赤くなるではないですが、ギスギスとした空気に囲まれると、いつの間にかその影響で自分もそれに近い言葉を発してしまうようになってしまう事もありますし、こういったアットホームな雰囲気で楽しめる空間はとても大事にしていきたいものです。
システム自体はTwitterと通じる部分が多く、
フォロー →ライク
フォロワー→ファン
いいね →ポップ
リツイート→シェア
といった形で置き換えれば簡単になじめると思います。
比較的ユーザーがまだ多くないようですので、有名になりたい方や、他のSNSで疲れてしまった方はこの機会に始めてみてはいかがでしょうか!
と、言いたいところなんですが、実はこのアプリ、まだiOS版しかリリースされていないようです。
調べてみたところ、2019年中にはandroid版もリリースされるようですので、気になった方は是非チェックしてみてください!
まとめ
今回はちょっとした雑記ですね。
この二つのサービス、これからもっと注目度は上がっていくのではないかと思いますので、せっかくの機会です、興味があればぜひ初めて見てはいかがでしょうか!
ちなみに、CTimeでも「そろばん兄貴」として活動していますので、よかったらフォロー、じゃなくてライクしてくださいね!
【生徒の喧嘩に俺が出る!!】裁判官ではなくレフェリーとして、子供の喧嘩に向き合おう。
こども達を対象にした仕事をしているので、時折喧嘩や言い争いが起こることは定期的にあります。お子さんのいる家庭でも、兄弟間や友人間でそういったタイミングはあるのではないかと思います。
そういった際に、皆さんならどういった対処をするでしょうか?
仲直りさせたり、喧嘩を止めたり、様々な対処法があると思います。
ただ多くの場合では、その場を治める対応がほとんどではないでしょうか?
正直なところ、この対応に関して、私は昔から疑問を感じていました。
確かに、授業や指導に支障が出てしまうのは困りますので、迅速に解決しなければならないのも事実です。
今回は、そういった喧嘩や言い争いに対する私の対応をまとめていこうかと思います。
前提「喧嘩は悪なのか?」
・根底にある不満
少し脱線するのですが、私は小中学校の頃、とても喧嘩っ早い生徒でした。
喧嘩っ早いといっても、他校の生徒と殴り合ったりといった不良的なことはなく、同級生とのいさかいが絶えず、納得できないことがあると頻繁にトラブルを起こしていた、という意味ですが。
そういった際に、大抵は担任や近くにいた先生が仲裁しに来たのですが、その仲裁の仕方に私は納得ができませんでした。
喧嘩やトラブルには理由があります。今考えれば些細な理由だったのでしょうが、当時としては真剣に憤り、しっかりと解決したかった問題だったはずです。
そういった心情を考えず、とりあえず目の前のトラブルを解消するための対応が、当時の私にはとても納得できませんでした。
確かに、教師という職業からすれば生徒間のいさかいを仲裁するのは当然ですし、次の授業などに差しさわりが出ては困りますので、そういった対応は当たり前だと今はわかります。
ただ、当時はそういった対応をされ、表面上の仲直りを強制されることに、強い不満を持っていたのも事実です。
「なんで理由も聞かずに止めるんだよ」
そういった思いが、ずっと私の中にはあったように思います。
・今になって思う事
そういった不満を抱えていましたが、今自身の立場になってみて、思っていた以上にこの生徒同士のいさかいや喧嘩というものは指導に支障があるのだと実感します。
一時期は私も、とりあえずその場をいさめ、場当たり的な解決をしていた時期もありました。
ですが、そういった対応をした後では明らかにその生徒の集中力は低く、こちらに対して明確な不満を持ってしまうため、どうにも指導がうまくいかないと気が付きました。
そういった生徒が一人いることで、低学年であれば特にそうですが、他の生徒にもそのやる気のなさや不信感は伝染してしまうもので、一歩間違えばそのままその日の授業がまったく意味のないものになりかねません。
ですので、こういったトラブルは決して放置はもちろん、表面的な対応では結局こちらにとっての不利益を生み出してしまうのですから、根本的な解決をしなければいけないのではないかと考えるようになりました。
実践・どう対応する?
さて、では実際に私が普段教室でこういったトラブルにどのように対応しているかを書いていこうかと思います。
1・聞き出し(1分程度)
これがまずは基本です。
この段階で原因を聞きだすことができるのであれば解決は比較的容易なのですが、たいていの場合はそうもいきません。
ですので、ここでは実際の原因を聞きだすことよりも、興奮状態にある生徒の精神を落ち着かせる意図が強いです。
ここで私が聞かないようにしているのが、どちらが悪いのかということ。
どちらかに非があるとしても、その段階では双方興奮しており、「そっちが!あっちが!!」となってしまうだけで時間の無駄になることが目に見えています。
2・書き出し
私の教室には、生徒が他の生徒に聞かれたくない話だったり、ちょっとした質問があるときなど、多用途に使用するメモ用紙が常備してあります。
(これはちょっとおすすめです。一対一での意思疎通ができるツールとしても優秀ですし、ちゃんと返事を書いてあげれば、指導外での信頼関係の向上にもつながります)
これを一枚ずつ渡し、原因や悪かった点などなんでもいいので、自分なりにそのトラブルに対して思う事を書いてもらいます。
書き終わったら持ってくるように伝え、それまでは絶対にそろばんやプリントには触らせませんし、こちらからは書けたかどうかといったことも一切聞きません。
意外と、そういった状況にあると子供たちは素直に従ってくれるもので、今のところこれを拒否したり、都合のいい内容を書いてくる生徒はほんの一部のみで、ほとんどの場合きちんと本当のことを書いてくれます。
当初これをさせた時は、双方の意見を聞くとともに、そのトラブルをきちんと整理させ、興奮状態を落ち着かせるためでした。
ですが、主に高学年の生徒を中心に思っていなかった効果もありました。
ある程度時間が経ってから原因や憤りを文字にすることで、自身にも非があったり、言いすぎてしまった言葉などを反省し、自発的に相手に謝罪したりという場面が何度かあったのです。
こういったパターンはあまり多くはないですが、原因を反省し自発的に解決するという流れは、個人的には最も理想的でないかと感じますね。
3・確認と促し
先ほど少し触れましたが、ごく稀にではあるものの、自分に都合のよいことを書いてくる生徒もいます。
双方が書いてきたメモを確認し、概ね齟齬がなければそのままですが、もし食い違いがある場合はしっかり確認して、概要を確認します。
この段階で、どちらに非があるのか、そもそもどちらも悪い部分があるのかなどは把握できますが、だからといってそれを基にこちらからその場での謝罪を促してしまっては結局不満が残ることを私は知っています。
ですが、メモを書いて事実を確認している以上、当事者はどちらが悪いのか、自分は何がいけなかったのかを既に自覚していますので、ここまで来ればさほど多くの言葉は必要ないでしょう。
「謝りたいと思ったら、ちゃんと謝ろうね」
私は大抵の場合、こういった言葉がけをして終わりにします。
実際に謝るかどうかと聞かれれば、実際はわかりません。ですが少なくとも、表面上だけ仲直りをさせる対応をしてしまっていたころと比べると、後々にその人間関係に禍根が残るような結果は少なくなったのではないかと感じます。
まとめ【なぜ手間をかけるのか】
はっきり言ってしまえば、単純に効率を考えるならばこんなことをせずに場当たり的な対応をしてしまったほうがいいのかもしれません。
あくまでもそういった教育姿勢は家庭や学校の反中であり、それはそろばん教室の講師がするようなことではないと思われてしまうかもしれません。
私がこういった対応を心掛けている理由は、ただ自分が少年時代に感じていた不満を生徒に抱えてほしくないという個人的な事情によるものです。
大人から見れば些細な問題でも、当人からすれば見過ごせないだけの理由があります。
問題が解決していないのに、「握手して、はい、仲直り」というような解決を私は心の底から下策であるとし、問題を抱えた本人達の人格を無視して、大人という立場で物事を判断してしまう事に疑問を感じ、このような方式をとっています。
これを絶対的な正解とは思っていませんが、今私ができる最善の方法ではないかと考えています。
他にももっと優れた方法を採用している方がいらっしゃいましたら、是非ともお教えいただきたいと思います。
私の価値観に強い影響を与えた、とある【言葉】の話
世の中には様々な言葉というものが溢れており、その中には悪意や害意で発せられたものも多くあります。
そういった悪い感情から生まれた言葉のほうが人に対して与える印象や影響が大きく、善意の言葉が100あったとしても、1の悪意の言葉を見てしまえばそのせいで精神的にダメージを負ってしまうことが少なくないと思います。
ですが、そういったほんの一部の悪意や害意の言葉ばかりに耳を傾けてしまう事で、本当に自分を思いやって投げかけてくれた言葉に気が付けずにいることほどもったいないこともありません。
長い人生ですから、できるだけ多くの良い言葉に耳を傾けていきたいですね。
もちろん、都合のよい言葉、という意味ではなく、自分の為になる言葉、有益な言葉という意味ですが。
私自身、まだ30という若輩ですが、そんな中でもやはり、その後の私の価値観に大きな影響を与えてくれた言葉があります。
数年ほど前のこの時期、とあるご縁で三ヶ月ほどアルバイトのような形で大変お世話になった方がいらっしゃいました。
正直、アルバイトと言いながらほぼお役に立つことはできず、本当に迷惑をおかけするような状態だったのですが、最後まで様々なことを教えて頂き、いまだにその時の経験をありがたく感じることがあります。
そしてその最終日、作業がいつもより少し早く終わり、片付けをしているときにその方は私を呼び、小さな箱を差し出しました。
開けるよう促され、箱を開いてみると、そこには一本のガラスペンが入っており、その際に言われた言葉が、今の私の価値観に、大きな影響を与えたものでした。
「いずれ君にも、少し大きなお金を手にする時期が来るだろう。そうなった時、急に身に着けるものを立派にしても、君の中身が伴っていなければ下品になってしまう。逆も然り。そうならないよう、今からすこし良いものを持つという事に慣れておきなさい。そのペンはそのきっかけだ。」
一言一句同じというわけではありませんが、おおよそこういったことを言われました。
正直なところ、当時はあまりその言葉の意味をはっきりと理解することはできていなかったように思います。
ですがそれから数年間、さまざまな経験を経て、徐々にその言葉の意味を実感するとともに、この言葉をくださった方への感謝の念が絶えません。
恐らくですが、私がこの言葉によって最も影響を受けたのは、物を買うときの選び方ではないかと感じます。
以前の私は、文房具に関しては使えればよい、ネクタイは巻ければよい、といった具合で、あまり頓着することなく使うものを選んでいました。
ですが、人前で消耗品の安価なボールペンを使う事を良しとしていいのか、見るからにチープなネクタイを締めている指導者をみたら保護者の印象はどうだろうか、そういったことに目を向けてみると、最低限の見栄えは必要です。
逆に、身の丈に合わない高級品を身に着けて見せびらかすようでは、言葉の通り下品になってしまいます。
今の自分に、これはふさわしいだろうか、逆に安っぽくはならないだろうか、そういったことを考えた物の選び方をするという習慣を意識して身に着けることができたのは本当にこの時のこの言葉があったからだと感じます。
いずれ私も、誰かにそういった贈り物を贈る機会があるかもしれません。
そうなったとき、決して自己満足ではなく、相手の事をしっかりと考え、物だけで終わらない何かを贈れる人になりたいと思いますし、そのためにも日々何かを積み重ねて生活していかなければと感じます。
余談ですが、その影響からか私は何かの記念やお祝いごとの際に、ちょっとしたガラスペンのセットをプレゼントするようにしています。
あまり日常で使う機会はないものですが、比較的好評なので機会があれば利用してみてはいかがでしょうか。
地域の教室による【総合的教育ネットワーク】を構築したいという話。
ネット上で様々な方とお知り合いになることができ、そういった方々と通話などでお話することが多いのですが、先日とある地方でプログラミング教室を営む方とお話する機会がありました。
その方の教室も地域のコミュニティセンターを借りて運営しているという事で、経営体制やメインターゲット層が私の教室と似ていることもあり、かなり長い時間為になるお話をさせて頂いたのですが、その会話の中で少し印象的なものがありました。
今回の記事は、その内容について私が提唱する案を紹介していこうと思います。
- 地域の教室を繋ぐネットワークの構築を
- メリット1【情報共有】
- メリット2【生徒の安全確保】
- メリット3【共同事業・イベント】
- メリット4【提携することにで様々な通学パターンに対応】
- 他にも様々なメリットが
- おわりに
地域の教室を繋ぐネットワークの構築を
「習い事は互いに商売敵であるという意識が強いけど、協力したほうがいいのではないか」
これは少し前から思っていたことです。
子供の数が減っていることに加え、そろばん、習字、水泳、公文といった昔からある習い事以外にもプログラミングやダンス、英会話などの時代のニーズに合わせた習い事の台頭もあり、はっきり言えば生徒の取り合いが激化している現状です。
以前の記事で触れたように、首都圏を中心に学習塾へ転換する学年が徐々に早まってきていることもあり、その状況が根本的に変わることは難しいのではないかとも思います。
ですが、このままでは珠算界のみではなく習い事という業界自体が、大手グループ系列の教室や塾に征服されてしまう未来が待っています。
地方の商店街が大型ショッピングセンターの台頭によって打撃を喰らい、最悪廃業してしまった経営者もでたりという時代が、この習い事という業界にも急速かつ確実に迫ってきているのです。
であれば、今のように自身の教室経営のみを考えて他の習い事を競合として考えるのではなく、地域全体を考えたネットワークを構築し、互いに情報を積極的に共有するような姿勢をとらなければいけないのです。
ここからは、そういったネットワークを構築することのメリットを考えていきましょう。
メリット1【情報共有】
同じ地域でも、それぞれの教室では通っている生徒が違います。生徒が違えば、それによって得ることができる情報も変わってくるのは必然です。
例えば小学校でおこった同じ出来事に関しても、その情報を持ってくる生徒が違えばこちらが得られる情報にも差異が出てきます。
こういった仕事では、地域における情報を得ることは非常に大事なことで、より早い、より正確な情報ほどありがたいものです。
比較的私の住んでいる地域は治安が良く、あまり事件というものが起こることはありませんが、それでも不審者が出没したり、山が近いこともあり春には熊の出没などの情報も出てきます。
生徒を預かる身として、通学時の安全は確保したいものです。その観点からも、各経営者同士が互いの持つ情報をこまめに共有することで、より生徒の安全性を高めることもできるのではないかと思います。
また、地域の複数の教室に通っている生徒も多数いますので、そういった生徒に関する情報を提供しあう事でより良い指導に繋げることも可能でしょう。
これに関しては、該当する生徒の保護者へ了解を取る必要がありますが、個人情報としてではなく、指導の質を向上させるための情報に限れば、理解を頂くことは十分可能なのではないかと考えます。
メリット2【生徒の安全確保】
前項でも触れたことですが、情報の共有のみではなく、有事の際に助け合える環境を整えることもできます。
例えば通学中、不審者に遭遇してしまったとします。
そういった際に、近くに逃げ込める場所があるか否かでその後の展開は変わってくるでしょう。
各地にあるそれぞれの教室を、そういった緊急時の避難先として生徒に周知しておくことができれば、生徒自身、そして各家庭の安心感を得ることに繋がります。
中には、そろばんが終わったら別の習い事、またはその逆というパターンといった生徒もおりますので、そういった場合にも教室を出た、教室に到着したという情報を共有できれば、こちらも安心することができます。
広範囲から生徒が通っている教室であれば、通学に対して保護者が不安を感じるのは当然です。そういった不安をほんの少しでも解消することができれば、習い事へ前向きに考えてくれる家庭も増えてくるのではないでしょうか。
メリット3【共同事業・イベント】
1・イベントの規模を大きく出来る
多くの習い事では、定期的なものや突発的なものもあわせて、なにかしらのイベントを開くこともあるかと思います。
ですが、生徒の人数によっては盛り上がりに欠けたり、どうしても小規模なものしか開催できないということもあるでしょう。
もしこのようなネットワークを構築すれば、各教室の生徒を集めての交流会やイベントを開くこともできます。
各事業者の負担も軽減することができますし、参加者が多いことで教室単位のイベントよりも盛り上がりを期待することができます。
人数が増えることで、チャーターバスを利用した合同遠足などといった、単一の教室では難しいイベントを開催することも、ハードルを下げることができるでしょう。
2・保護者にもメリットのある共同事業
近年共働き世帯が増えたこともあり、習い事をさせようと考えている保護者は多いものの、各教室に説明を聞きに行ったり、体験学習に行く時間を確保することが難しい家庭は少なくないように感じます。
そういった家庭へのアピールとして、参加教室の共同出資で会場を借り、小学生や保護者向けの教室説明会などを開催することもできます。
平日に時間を確保できない保護者からすると、そういった合同説明会を開催することで地域の様々な教室を一度に知ることもでき、複数の教室に通う際の通学プランを検討することもできるのです。
メリット4【提携することにで様々な通学パターンに対応】
先ほども触れたように、複数の習い事をしている生徒というのは多く、場合によってはその都合で通学日数や時間を調整することも少なくありません。
そういった際に、地域内で提携、もしくは協力することで、複数の習い事を両立する上で積極的なサポートを行うことができ、検定試験・発表会・競技会などの日程を共有することで生徒への負担を考えたプランニングが可能になります。
保護者によっては各習い事に優先順位を付けることも多いようですが、そういった意向を踏まえ、より効率的な学習を後押しすることもできるでしょう。
他にも様々なメリットが
大きなメリットとして考えられるのはこのくらいですが、他にもこまごまとした可能性が考えられます。
・共同での塾報・会報の作成
そろばん教室の塾報には、基本的にそろばんに関する情報が載っています。書道なら書道の情報。
ですがこういったネットワークを作れば、多種多様な習い事に関する情報を得ることができますし、経営者としても他の教室に負けたくないという気持ちが湧き出てくるでしょう。
また、分担での記事作成をすることにより個人ごとの負担軽減にもつながります。
習い事に限らず、地域の様々な情報を取り入れたり、ちょっとしたコラムなどを設けて内容の充実を計る余裕も生まれるかもしれません。
・定期的な組織内表彰なども
珠算連盟での優良生徒表彰があるように、ネットワーク内でもそういった表彰式や記念式典のようなものを開催してみるのも面白いかもしれません。
小学校の頃の集会で、全校生徒の前でバスケや水泳の賞状を貰った時の嬉しさは今でも覚えています。(残念ながらそろばんで競技会に出たことはほとんどないんですよね・・・)
そういった経験を増やすことで、地域の子供たちのモチベーションをアップさせることができるのではないかと考えます。
また、そのようなイベントがあることで、学校などで習い事の話題が増えれば、そこから興味を持って習い事を始める児童も出てくるかもしれません。
おわりに
今回は地域教室でネットワークを構築することのメリットについて考えてきましたが、もちろんデメリットもあるかと思います。
それぞれの教室の情熱に大きな差があれば、共同での作業の比重が偏ったり、足を引っ張りあう結果に終わる可能性も、十分に考えられます。
ですが、そういったリスクを恐れていても、先ほど触れた時代の変化に対応することはできず、いずれ衰退していくのは目に見えています。
そろばんだけ、習字だけという、個の力だけではなく、相互協力による円の力を高めることで、一層有効な教育体制を地域にもたらすためにも、こういった取り組みはこれから必須になっていくのではないでしょうか。
私も、まずは近隣地域のさまざまな教室を経営している先生方と協力して、このネットワークが実現できるよう努力していこうと思います。
【勉強嫌い】は勉強が嫌いなわけじゃない、という可能性のお話。
今回の記事は、私の過去の甘えや弱さによる経験です。読んでいてイライラする内容かもしれません。
もし同じように悩んでいたり、そういったお子さんを持つ方に少しでも参考になればと思い、恥を晒す内容を書くことを決意しました。
はじめに
正直なところ、昔の私は本当に「勉強」というものが嫌いでした。
テストは一夜漬けだし、努力もせずなんとなく気が向いた時だけ参考書に向かう生活。
はっきりと言ってしまえば、学生時代もっと勉強をしていればよかったという典型のような学生時代を送ってきました。
ではなぜそうだったのかと今考えてみると、様々な悪循環がありました。
当時通っていた中学高校の先生を批判するのではありません。おそらくは、ただ単純に私が学校というものを苦手になってしまったんだと思います。
しかし、中三で通った学習塾での勉強はなぜかとても楽しく、夏休みはほぼ毎日のように塾の学習塾に通っていました。
しばらくは「塾の先生はプロだからそうだったんだろう」と考えていました。
ですが、最近になって少し考えてみたのですが、それは私の勘違いだという事に気付いたんです。
学校が嫌いになった経緯
はっきり言えば、私が嫌いだったのは勉強ではなく、「学校」という環境でした。
小学生当時、今ほど複数の習い事をしている生徒は多くなく、さらに毎日何かしらの習い事で埋まっているという同級生はほぼいませんでした。
そんな中で私は週七日間すべてが、そろばん・水泳・バスケで埋まっており、確かにその中で同級生もいましたが、放課後に誰かと遊ぶという文化がほぼありませんでした。
特にそろばんの日は、親が先生という事もあり、授業が終わってからも片づけを手伝うように言われていたので、帰ることもできません。おそらくは自宅に一人でいることが不安だったのだろうと思いますが、当時は親に対してかなりの不満を抱えていました。
結果、クラスメイトとは話が合わず、たまにそれらが休みになった日に誰かと遊んでも、普段みんながしている遊びがわからない。
結果、休み時間にも話す相手が徐々にいなくなり、たまに話しかけられてもからかうようなことを言われるだけ。高学年に上がるころには、私は毎日学校に行くことが憂鬱になっていましたし、たまに暇な時間があっても部屋にこもってほとんどの時間をボーっとするようになっていた気がします。
唯一の救いは、毎週水曜日に通っていたスイミングの送迎バスで、隣の小学校の友人と仲良くなることができ、送り迎えの際にその事おしゃべりすることが楽しみだったという事。
バスケを辞めたいという訴えを何度かしたこともありましたが、理由を聞くまでもなく認めてもらう事はできませんでした。
そうこうしているうちに中学生になりました。
中学に上がると、同級生も部活が始まります。
ここで私は、やっと習い事から解放される、他の同級生と同じ環境になると思っていたのですが、そんなことはなく、待っていたのは夕食後の父親からのそろばんの練習でした。
そういった毎日を過ごすうち、部活以外のほぼすべての時間を無気力に過ごすようになりました。
さまざまなことへの興味や関心を無くし、学校の授業中に起きていることができなくなりました。
そんな不真面目な態度でしたから、気が付けばなにかトラブルがあった際にも悪いのは私であるという前提で対応をされ、庇ってくれるような友人もいません。
徐々に徐々に、家でも学校でも、人と会話することが怖くなっていき、親や先生に声をかけられると「叱られるんじゃないか」と感じて、何も言葉が出てこないようになっていきました。
今考えると、この当時私は精神的にもおかしくなっていた部分があると思います。
この当時の事は、家族で出かけたり旅行に行ったことは覚えているのですが、叱られたりした記憶はあるのに、あったはずの楽しかったり感動したりといった記憶がほとんど残っていません。そのくらい、陰鬱とした精神状態でした。
当たり前ですが、成績はどんどん下がっていきました。学年124人のうち100位ほどの成績が続き、ほぼ毎日のように勉強の事で叱られていたように覚えています。
生活面でも学習面でもうまくいかず、部活の為に学校に行っていたようなものでした。
初めて勉強が苦じゃなくなったきっかけ
そんな状態でしたので、部活を引退した際に私は両親から、学習塾へ通う事を勧められました。
そんな成績を続けていた私を見放さず高い授業料を払って塾へ通わせてくれたことに感謝しています。
通い始めた当初、正直その内容についていく事ができませんでした。当たり前ですね、学校の授業をまともに受けていないのですから、最低限の学力すら身についていないに決まっています。
ですが、できないことは苦痛でしたが、塾の授業はなぜか楽しく感じました。
あまり同じ中学校の生徒が通っていなかったこともあり、周りを余り気にせずに授業を受けることができたことも要因としては大きかったかもしれません。
塾の先生は年齢も近く、質問や相談をしやすかったという事もあり、気が付けば塾へ通う事が楽しみになっていました。それに呼応するように、徐々に成績も上を向くようになり、相変わらず学校は嫌いでしたが、勉強自体は楽しく感じるようになっていたように思います。
冒頭でも言いましたが、中三の夏休みになるとそのほとんどを塾の自習室に行き、解放されている朝から夕方までを勉強に費やしていました。
実際は、初めは家にいることで親と顔を合わせることを避けたかったという不純な理由もありましたが、間もなくただ積極的に自習室を利用するようになっていました。
そのころには、高校受験対策に同じ中学の同級生も徐々にその塾に通うようになったのですが、なぜか塾では普通に会話することができたのが印象的でした。
そういった夏休み明けの実力テスト、そのおかげか成績はかなり上がり、学年で20位ほどになっており、クラスメイトからはカンニング疑惑をかけられましたが、この時私は担任の先生から初めて褒めてもらえたことがうれしかったのを覚えています。
そうして少しずつ成績を上げていき、高校受験では当初無理だといわれていた高校に合格することができました。
環境を変えるのは時に有効
これはあくまでも私の経験での話ですので、全部が当てはまるわけではありません。
ですが、私自身が珠算講師として子供たちに指導をしていると、勉強嫌いな生徒というのは少なからずおり、その中には勉強とは本来関係ない理由のはずが気が付いたら勉強も避けてしまうようになったというパターンはかなり多く、ほんの少し何かを変えるだけでその姿勢に変化が現れる場合も少なくありません。
私にとっては塾への通学がそのきっかけでしたし、見てきた生徒の中ではクラスの席替えがきっかけで良い方向に向かったというパターンもありました。
伝えたい事
悩んでいるあなたへ
「勉強が嫌い」だと感じていると思いますが、それはもしかしたら、結果的に勉強に向き合えていない事情があるのかもしれません。
一度、なぜ自分が勉強を嫌いになったのかを考えてみてください。
もしもそこに他の理由があるのだとしたら、それを解決するために努力する余地があるならば、まずは行動してみてください。
今の世の中は、無理に小中学校へ行かずとも勉強ができます。
どうしても学校の勉強ができないのであれば、自分の興味があることをとことんまで突き詰めてみることで人間として成長できるかもしれません。
ほんの少し何かを変えることで、新しい何かが見えてくることはよくあります!
綺麗事だと思ってくれてもかまいません。ただ、実際にほんの少しのきっかけで前を向くことができた人間がいるという事だけは、知っておいてほしい。
勉強嫌いなお子さんの保護者様へ
お子さんの勉強嫌いを、単なる怠慢だと決めつけていませんか?
もちろん、その可能性はありますが、勉強ができなくなるような理由があるという可能性は大いにあります。
そしてそういった理由は、大人の価値観で見ればただの言い訳にしか聞こえないのかもしれません。
ですが、そうだと決めつけるのはやめてあげてください。親子の信頼関係は生命線です。
そういった状態に陥ったお子さんは、そういった悩みや不安を打ち明けるだけでもかなりの勇気を振り絞っています。
なのにただ否定されるのでは、せっかく振り絞った勇気も無駄になるばかりか、なんの対応もしてもらえなければ一緒に悩んでもくれないという事に絶望してしまいかねません。
「勉強をしてほしい!」という想いがあるのはわかります。
ですが、事情を抱えたお子さんに勉強を強要してもほぼ有効な学習を望むことはできないでしょう。
まずはしっかりと寄り添ってあげてほしいと、切に願います。
おわりに
今回の話は、誰にでも当てはあるものではないでしょう。ですが、誰に当てはまってもおかしくない話です。
ただの怠慢で勉強をしないならばお説教でいいのかもしれません。
そうじゃない可能性があるという事を、頭の片隅にでも置いておいて頂ければと思いこの記事を書きました。
もしかすると自分の過去を私が正当化しただけに見えるかもしれませんし、その側面がないとは言い切れません。
しかし、なにか事情を抱えた子供がいて、それに対して理解を示せない保護者がいるのは現実的な問題です。
これを放置せず、しっかりと理解を深めていく事で、そのような問題が少しでも解決してくれることを強く望みます。
【割れ窓理論】に見る、教室の空気を管理する重要性。
皆さんは、「割れ窓理論」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「建物の窓が壊れているのを放置すると、その建物に対して注意を払う者がいないという象徴となり、いずれ割れていない窓も壊されてしまう」という考え方からこの名前が付いた、軽微犯罪も徹底的に取り締まることによって、大きな犯罪や事件を抑止することができるという環境犯罪学における理論だそうです。
今回は、この理論を基に教室での雰囲気作りについて書いてみようかと思います。
ある日の気付き
私は地域の集会所をお借りして授業を行っているのですが、夏場などには脱水症状防止や熱中症予防のために飲み物の持ち込みを認めています。
ですが、中には飲み物を持ってこない生徒もおり、そういった生徒用に水道水を飲むためのコップをいくつか用意しています。
使用後は洗って元の位置に戻すよう指導しており、多くの場合ではきちんとその言いつけを守ってくれています。ですが低学年であったりあまりそういった言いつけを気にしない生徒が使用すると、使ったら使いっぱなしになっていることも無いとは言えません。
基本的にはそういったものはすぐに片付け、該当の生徒に口頭で注意するようにはしています。
ですが数年前のある日のことです、その日はいつもより授業が忙しく、そういった部分に目を向けられずにいた瞬間があり、落ち着いたときに見てみると、使用したコップが四つほど使ったまま放置されていました。
玄関を見ると、その時間に最後に使用したであろう生徒がいたので聞いてみると、
「他のコップがそのままだったから」
という理由で、自分もそのままにしてしまったとの事。
その場では、そういった場合でも普段通り、使ったものは片付けるようにと注意をしました。
その後もそういったことがないようにと、次の授業の際にはいつもより少し注意を払い、前回コップを使用した生徒がまた水を飲みに行ったあとで確認してみると、その時はきちんと片付いていました。
実験でみえてきたこと
この違いはなんなのかと考えてみた結果、次の授業で一つ試してみることにしました。
授業を開始してしばらくしてから、あえて水道の近くに一つコップを置いてみたのです。
すると、やはりその日使用されたコップは放置されていました。
いざ気が付いてみると、その他にも同じようなことが多々あることに気が付きました。
靴はかならず下駄箱に入れるよう指導しているのですが、一人でもその指導を守らない生徒がいると、あとから来た生徒の中にも靴を放置する子がいた。
自転車通学の生徒が自転車を雑に駐輪すると、他の生徒も自転車を乱雑に駐輪し始めた。
授業を待つ生徒の中で、鞄を適当に放置する生徒がいると、他の生徒も同じように放置してしまった。
主にこういった部分が目につきました。
それまで私は、そういった生活面に関しては授業の前後に全員に向けてまとめて指導することに留まっており、そういった行為が目に留まった時に軽く注意する程度でした。
指導の徹底化と効果
一度目についてしまったのですから、放置はできません。
それまで行っていた指導に加え、
・台所や下駄箱に張り紙をする。
・鞄や荷物の置き場を指定し、こちらの目に入る範囲で管理させる。
・各授業開始前に、玄関から自転車の状況を確認して不備があれば直させる。
手始めにこういった対策を実施したことを覚えています。
そうして、徐々に目についていた問題が解消されていくと、副産物的な効果が出てきました。
それは、注意しあう空気。
使いっぱなしにしていたり脱いだ靴を仕舞わない子がいたら、他の子が注意する。
こちらが気付いていないことでも、生徒各自が互いに互いの行動を注意しあって、よりよい環境を作る空気が流れ始めたんです。
そして、人に注意する以上は自分がしっかりしていなければいけないという精神的な動きからか、気が付けばそういった生活面の問題は私が考えていた以上の速さで改善することができました。
私の教室から、割れた窓がなくなったことを感じた瞬間です。
結論
割れ窓理論とは、徹底的な取り締まりによって治安を保持・回復することができるという理論であると考えていますが、これは教室やさまざまな団体においても共通する部分が多々あるのではないでしょうか。
逆を言えば、そういった問題を軽視してしまえばその問題は徐々に大きくなり、気が付けば運営自体が破綻してしまう事態にもなりえるのではないかとも感じます。
ゴミを放置すればゴミが増え、おしゃべりを放置すればおしゃべりが増えます。
であれば、こちらにとって不利益につながる「割れた窓」を見付けたのであれば、決して軽視せず、手間を惜しまず対応する必要があるのです。
今現在も、「ヒビの入った窓」はあるかもしれません。見えていないだけで、どこかで割れた窓がある可能性もあります。
恐らくこれに関して、完全に安心できる日は来ないでしょうし、常に意識をもって授業に向き合っていこうと思います。
この業界に、防弾ガラスは存在しないでしょうから。
物申す!!「そろばんイラストコンテスト」がもったいない!
現在、全国珠算教育連盟が主催している「そろばんイラストコンテスト」があります。
そろばんを学習している生徒さん向けにそろばんイラストを募集しており、今回が二度目のようですね。
前回の応募作品を使ったポスターを見ましたが、なかなか個性的なイラストがたくさん集まっていたようですね。
どのくらいの応募があったのかはわかりませんが、二回目があるという事はそれなりの応募点数があったという事でしょうか。
とはいえ、こういった楽しいイベントもどんどんやっていってほしいですね。
が!
正直、もったいないと思うんですよね。
なにがもったいないかって、募集要項を見てみると、本当に募集しますよってことしか書いてない。
もしかしたらこれはただのイベントでしかないのかなと思ってしまいます。
そういったイベントに対して積極的ではない教室も多いでしょうから。私の父もどうやらそのタイプのようです。
ですので、今回はもっとこうすれば活用の幅が広がるのに!と感じたことを書いていこうかと思います。
現在の珠算界では、珠算式暗算の習得により右脳の開発を促すという、能力開発へのアプローチを前面に押し出してアピールしています。
これ、イラストにも通じるものがあって、多くの老人ホームや介護施設で認知症予防に取り入れているように、「絵を描く」という行為は右脳の活性にとても効果があるとされています。
題材を具体的にイメージし、筆やペンといった道具を使い、紙やキャンパスに乗せていく。そしてその一連の作業には集中力が欠かせません。
私はこの一連の流れ、珠算式暗算と共通するものが多いのではないかと考えています。
うまく描けない部分への試行錯誤や、失敗した時の悔しさ、完成した時の達成感。これらも、珠算学習の中で経験することに似ている部分は多々あります。
そういった共通点が多い、「イラストを描く」というイベントを開催するのであれば、なぜそれをアピールしないのか。
そもそも、そういうことを考えているわけでもないのかもしれませんが、だとしたらなおの事もったいない!
「暗算で鍛えたイメージ力で」
などの一文があるわけでもなく、募集要項や著作権の扱いに関する注意があるだけ。
いやいやせっかくのイベントなんだから、もっと盛り上げましょうよ!
先に挙げた珠算式暗算と絵を描くことの共通点をまとめて、
「こういう効果と狙いがあるので、是非生徒さんに参加させてください!」
という旨の募集案内を同封することで、ちょっと前向きに検討してくれる先生もいるんじゃないでしょうか。
脳の活性・発達を促進する、ということをアピールするなら、そういうところももっともっと活用していけばいいのにと感じてしまいました。
それともう一点、このイラストコンテストって、基本的に各教室の生徒が募集の対象のようですが、これって先生も応募していいんですかね・・・?